林芙美子が贔屓にした「文化人のサロン」となった宿 文豪が愛した温泉宿

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「文豪」が愛した温泉宿――山崎まゆみ(3)

 開高健が湯浴みと釣りを楽しんだ宿や、夏目漱石が作品の舞台にした温泉地、川端康成が執筆に没頭した“雪国の宿”――。温泉エッセイスト・山崎まゆみさんがお送りする、文豪が愛した温泉宿の最終回である。

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“男湯”の話ばかりが続いたが、女流作家はどう温泉と関わったのだろう。最後に紹介するのは、川端とも親交があった林芙美子だ。

 彼女は、志賀高原の入り口にある長野県は湯田中渋温泉郷「上林(かんばやし)温泉 塵表閣(じんぴょうかく)本店」を贔屓(ひいき)にしていた。

 明治時代の開業で、初代オーナーの小林民作は、まだ芽の出ない画家や書家を支援して、自由に創作活動をさせたことで知られる。

 芸術家たちが大成すれば、弟子や仕事仲間と連れだってやってくる。おかげで「面白い宿がある」と評判が次第に広がり、先に紹介した漱石や川端をはじめ、歌人の与謝野晶子も訪れ、いつしか文化人のサロンとなっていった。事実、芙美子を連れて来たのも、『二十四の瞳』を書いた壺井栄だ。

 けれど、芙美子は他の作家以上にこの温泉宿との絆を深めていく。戦時下の昭和18年、彼女は生後間もない男の子を養子にとって「泰(たい)」と名付けたが、翌年には夫と家族3人で「塵表閣」へ疎開。終戦後、東京へ戻るが、再び息子を背負って訪れている。昭和22年の冬、芙美子43歳の時だ。

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