総理に求められるのは「忖度」か「お追従」か見分ける能力 保阪正康氏が説く「人を見る目」
お追従はいつもある
森友問題や加計問題の影響で昨年の流行語になった「忖度」は、本来はネガティブな意味合いは強くない言葉のはずだった。人の心を推し量るのは決して悪いことではないからだ。
もしも官僚が政治家の機嫌を取るためにアンフェアな振る舞いをしたとしたら、それは忖度というよりは「お追従」に近いのかもしれない。
ノンフィクション作家の保阪正康氏は、新著『人を見る目』の中で、「お追従」についての章を設け、こう述べている。
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「面白いことに、へつらう相手の権力が大きければ大きいほど、見返りを期待すればするほど、お追従の姿は醜くなる。といっても当人は、へつらう相手の権力を笠に着て自らの立場を高めたり、その覚えを買って昇進・栄達の道をまっしぐらと夢想しているから、それを恥ずかしいとは思わない」(『人を見る目』より。以下、引用は同書より)
保阪氏によれば、日本の近代史はウラから見れば「お追従の歴史」という側面すらあるという。
その代表例が東條英機とその側近たちとの関係だ。
「昭和10年代の戦時宰相・陸軍大将の東條英機はお追従が大好きだった。自分の目をかけた人間のみ、周辺に集め、あとはどんな識見・卓見を持っていても遠ざける。なぜこんな軍人を重用したのか、と言いたくなるほどだ」
この疑問を保阪氏は当時を知る元軍人たちにぶつけてみた。するとある元佐官からこんな返事が返ってきた。
「君、教えてやろうか。それはあの人が納豆ばかり重用したからだよ」
その元佐官によると、陸軍大学校の学生の中には、将来偉くなりそうな教官にとにかく近づいていく者がいるのだという。あれこれ質問したり、教官の家を訪ねたり、べったりと食らいつく。教官の側も、将来部下として使いやすいと考えれば、その学生の成績に点数を上乗せしたり、自分の子分扱いをするようになる。
納豆の罪深さ
「納豆というのは、こういうべたべたした関係を言うのさ。あいつはあの教官の納豆か、という具合に使うわけだ」
というのが元佐官の解説。
これが個人の出世を左右するくらいならばまだ罪は浅いが、問題はこの「納豆」の言うことを東條が信じてしまった点だろう。
「アメリカという国はたいした国ではありません。兵士はダンスをしたり、ガムを噛んでいたり、国の総合力はありません」
「納豆」のこんな報告を重んじ、「あの国と戦争してはいけません」という報告を東條は「弱虫」呼ばわりしたのだ。
周囲を気心の知れた人で固めたくなるのは人情だろう。また自分を持ちあげてくれる人には好意を持ってしまいがちだ。そういえば、幼稚園児を「教育」して、総理大臣夫人に「がんばれがんばれ」とエールを送らせた学園もあった。
しかし、それが真の腹心か、それとも単なる「納豆」か、「人を見る目」が特にトップには求められているのである。