第2次世界大戦における戦費の総額はどの程度だったか?

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 第2次世界大戦は、国家の総力を挙げた戦いだった。

 それまでの大戦争も、軍事的な戦略だけではなく、その背後にある国家の経済力の戦いであった。このことが、第2次世界大戦の時ほどはっきりと表れたことはない。

 日本は無謀な総力戦に挑み、そして破れ去ったのである。

 では、戦費は、具体的にどの程度の規模であったか? そしてそれは、どのようにして賄われたのか?

 これに関しては、戦後に大蔵省が編纂した『昭和財政史(戦前編)』に資料がある。

 それによると、日華事変(1937年~1945年)と太平洋戦争(1941年12月~1945年8月)の戦費の総額は、7559億円だ(表1参照)。

 この数字が、「第2次世界大戦で日本が支出した戦費」としてしばしば引用される。

 表にある日清戦争(2.3億円)、日露戦争(18.3億円)と比べれば、まったく桁が違う。第2次世界大戦が、日本がそれまで経験した戦争とはまったく異質のものであったことがよく分かる。

国民総生産の2倍の戦費?

 ただし、上記の7559億円という数字の意味を正確に理解するのは、それほど簡単ではない。「これはGNP(国民総生産)の30年分を超える額だ」と言われることもあるのだが、ミスリーディングだ。数字の評価は、慎重になされなければならない。

 まず注意すべきは、貨幣価値が上記の期間中においてもかなり大きく変化したことだ。

 そこで、GNPとの比較をしてみよう。経済企画庁が『国民所得白書』(昭和38年度版、136~137ページ)で行った推計によれば、この期間での日本のGNPは、表2に示すとおりだ。1937年には234億円であり、1944年には745億円になっている。

 1937年から44年までの8年間のGNPの合計は、3603億円だ。上で見た7559億円という数字は、この約2倍だ。つまり、この期間を平均してみれば、毎年GNPの2倍の支出をしていたということになる。

 しかし、これは奇妙なことだ。簡単に考えると、「戦費」であればGNP統計の「政府支出」に含まれるはずだから、GNPより大きな額になるはずはない。

 この謎を解く鍵は、表1の「臨時事件費」という項目にある。これが5623億円であり、7559億円の約4分の3もの比重を占めている。

『昭和財政史(戦前編)』(p386)では、これを「外資金庫損失額」と表記している。これは、「終戦の年に外資金庫から現地軍に現地通貨をもって支払われ、しかも政府貸上金とならずに、外資金庫の損失となったままの金額」である。

「外資金庫」とは、中国大陸その他の日本占領地において、軍事費の調達を行う目的で作られた特殊法人である(同書p367)。

 詳しくは後で述べるが、日本占領地において、軍事費の支払いを、占領地における現地金融機関からの借り上げによって賄うものだ。実質的には、軍票的紙幣の発行制度である。

 これを控除すると、残りは、1936億円だ。これは、「臨時軍事費特別会計」と「一般会計臨時軍事費」の合計である。

 これは、表2の一般会計歳出額の1937年度から45年度までの合計868億円の約2.2倍に相当する。

 1937年から44年までの8年間のGNPの合計3603億円と比較すると、53.7%だ。つまり、GNPの約半分を、上の意味での軍事費に使ったということになる。

野口悠紀雄
1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現在、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問、一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論。1992年に『バブルの経済学』(日本経済新聞社)で吉野作造賞。ミリオンセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)ほか『戦後日本経済史』(新潮社)、『数字は武器になる』(同)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞社)など著書多数。公式ホームページ『野口悠紀雄Online』【http://www.noguchi.co.jp

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