「平尾脱獄囚」をパシリにした受刑者リーダーが明かす「スパルタ刑務所」の実態

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 じつに22日間、逃亡を続けた脱獄囚・平尾龍磨(27)。無人の別荘に潜伏、水温15度の海を泳いで渡るサバイバル生活に耐えた彼が「あそこにいるのに耐えられなかった」と逃げ出したほどの「スパルタ刑務所」とは、いかなる場所なのか。実際に平尾に接した“牢名主”が明かす。

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 平尾が脱獄した松山刑務所の大井造船作業場は、造船会社「新来島どっく」の作業場に、受刑者たちが混じって勤務する「刑場」である。同刑務所から選ばれた20名ほどの模範囚は、敷地内にある寮で生活。彼らは塀も鍵もない環境で過ごし、面会や手紙のルールもゆるい。刑務官もいるにはいるが、基本的には寮生が“自治組織”を作り生活しているという。

「だからこそ、上下関係は厳しいんです」

 というのは、大井作業場にごくごく最近まで入所し、受刑者のリーダー役「会長」を務めていた、20代の男性である。寮には「会長」「副会長」「会長補佐」の三役を筆頭に、「新入訓練リーダー」などの役職があり、それ以外は「下期生」と呼ばれたという。このヒエラルキーは絶対で、例えば布団を畳む時に少しでも端がズレていたら、2時間は説教を食らうという厳しさだ。

「自分がいた時には、平尾は下期生でした。こうした規則のところですから、妙な話、トップの会長である俺の覚えがめでたければ、ずいぶん有利になる。だからゴマスリみたいなことはたくさんされましたよ。汚れた作業靴を勝手に洗ってくれていたこともあったな……」

 外に出る時には外履きを出すなど、信長に対する秀吉バリの努力も見せていた平尾。だが時には怒鳴りつけたこともあったとして、ソフトボール大会でのこんなエピソードを披露する。

「平尾はハッスルして走っている時に足を挫き、翌日の作業を休んだんです。その時も、“お前は何しにここに来てんねん! どっちが大事や。帰れ!”と怒った。平尾は“はい、すみません”と大人しく謝っていましたが……」

 作業所には「イジメ」と取れるような行為も伝統のようにあったというから、平尾が耐えきれなかったのは、無理もなかったのかもしれない。5月9日発売の週刊新潮では、「会長」のくわしい証言のほか、平尾の指導係の嘆き、平尾の行く末について詳しく報じている。

週刊新潮 2018年5月17日号掲載

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