全米震撼「リアル版ゴーン・ガール事件」:日本メディア初登場「被害者2人」独占取材の舞台裏

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 周囲から「理想のカップル」と見られていた幸せそうな夫婦の結婚記念日に妻が忽然と姿を消し、警察に「誘拐」と訴え出た夫がいつの間にか「妻殺害」の容疑をかけられ――。デヴィッド・フィンチャー監督、ベン・アフレック主演で2014年に公開されたサスペンス映画『ゴーン・ガール』は、実は「誘拐」は夫の浮気に激怒した妻の「狂言」だったという衝撃の展開に多くの観客が熱狂し、日本を含め全世界で大ヒットした。

 その熱狂冷めやらぬ2015年3月、全米が映画さながらの「リアル版ゴーン・ガール」と注目した事件が起きた。

 カリフォルニア州北部にあるバレーホ警察署に、アーロン・クイン(当時30)という青年から、同棲している恋人が誘拐されたという通報が寄せられる。ところが、現場の状況があまりにも不自然で、恋人のデニース・ハスキンズ(当時29)も2日後に戻ってきた。こうした映画との類似性もあり、警察は早々に「狂言」と断定、メディアもそれに追従。一躍全米から「犯罪人」のような視線を浴びるようになった彼らは、4カ月後に真犯人が逮捕され、紛れもない誘拐事件の「被害者」であった真実が明らかになるまで、「リアル版ゴーン・ガール」という汚名を着せられ続けた。

 それから3年――。沈黙を守り続けてきたアーロンとデニースが初めて日本のメディアに口を開き、フジテレビのインタビューに応じた。その詳細が、5月5日(土)21:00からの『目撃!超逆転スクープ――世紀の誘拐事件&奇跡の生還SP』で放送される。

 なぜいまこの事件を取り上げたのか、事件の真相とは何だったのか。番組制作の経緯からインタビューの様子、そして番組では放送できないインタビュー内容や極秘のFBI捜査資料まで開示してもらい、番組の総合演出・プロデューサーの西村陽次郎氏に聞いた。

前代未聞の“冤罪事件”

 私がこの事件の存在を知ったのは3年前、ちょうど映画『ゴーン・ガール』がヒットしていた頃でした。番組で取り上げる事件を探していたスタッフが、「リアル版ゴーン・ガール」と騒がれている事件があることを聞きつけてきたのです。

 まさに前代未聞の“冤罪事件”でした。

 ただ、あまりに複雑であるが故に、視聴者への伝え方が難しい。企画を練り上げ、テレビ番組として成立させる手法を模索する時間が必要でした。そこに今回の特別番組の枠が持ち上がり、いまだ、と踏み切ることにしたのです。しかし幸運にも、実はまさにいまのタイミングがピッタリだったことが後に判明します。

 本格的な番組制作を始めたのは昨年11月で、周辺取材からスタート。現地での取材交渉が整った今年3月、渡米しました。事件が起きたバレーホ市を訪れ、事件当時にアーロンとデニースが暮らしていた家にも行ってきました。今は別の方が住んでいますが、特別な許可を得て中も撮影できました。もちろん、番組ではその様子も放送します。

 ただ、2人にインタビューしたのはこの時ではありません。と言うのも、彼らは事件が解決した後、バレーホ市と警察官を相手取り、名誉棄損と精神的苦痛に対する損害賠償を求める民事訴訟を起こしていたのです。その裁判が結審しない限り、インタビューに応じられないということでした。しかも、裁判が終わるにはまだ時間がかかりそうだとも言われました。それでも、弁護士には取材できるということで、最悪、本人たちの取材ができなくても、その過程を描くことで番組を成立させるべく準備を進めつつ、渡米しました。

 ところがです。何とも奇跡的と言うか、我々が現地に滞在していた4日間のうちに、裁判が結審したんです。渡米前、アーロンの母親には「会うだけならいいけど取材はまだ受けられない」という条件でアポは取っていたのですが、その前日に結審したため、急遽、カメラ取材も受け入れてもらえた。そしてアーロン本人とも電話で話ができ、4月ならば2人そろって取材を受けてもいいと確約を取り付けたのです。何とも言えない強運に恵まれた取材でした。

身代金1万5000ドルを要求

 事件は2015年3月23日深夜3時頃、アーロンとデニースが2階の寝室で寝ている時に起きました。2人は同じ病院で働く理学療法士で、その7カ月前から交際を始め、アーロンの家で同棲していました。

 2人の証言によれば、突然、ドアの開く気配がしたと思ったら、スタンガンの閃光と音が続いた。目を覚ますと、全身黒ずくめの男が立っていて、彼らに銃を向けていた。

 アーロンはすぐさま男に水中ゴーグルを被せられます。レンズには黒いテープが貼ってあり、何も見えない。さらに手足を結束バンドで縛られ、クローゼットの中に押し込められると、今度はヘッドホンをつけられる。聞こえてきたのは、男の声。

「身代金1万5000ドル(約165万円)を用意しろ」

「お前の行動を監視している。勝手に動くな。指示に従わなければ、彼女に電気ショックを与え、顔をナイフで傷つける」――。

 予めICレコーダーに録音してあった音声でした。

 普通に考えると、金銭目的の誘拐にしては身代金の額が小さい。その点も、警察が早々に「狂言」と決めつけた理由の1つです。しかし恐怖の渦中にいる彼には、冷静な思考力などなかった。しかも犯人は、もっともらしい説明も加えた。この誘拐はこれから金持ちを襲うための予行演習だ、だから今回は安くしてやる、と。さらに、自らを「プロの犯罪集団」と名乗り、アーロンやデニースのことはすべて調べ上げてあるから、逆らうとデニースだけでなく家族にも危害が及ぶと脅す。実際、犯人は実に綿密な事前調査をしており、本人たちや家族の経歴、学校や仕事や友人関係などの情報も小出しにして信じ込ませた。そして2人はそれを恐怖とともに刷り込まれ、自分たちは「複数の犯人グループ」に襲われたのだと信じ込んだ。

 この時の恐怖が、実は2人の行動を後々まで縛りました。それが悲劇を大きく深くしてしまうことにもなったのですが、それは後で説明します。

 話をアーロンに戻します。彼は縛られたあと1階のリビングに連れていかれ、ソファで緑色の液体を飲まされる。そのまま意識を失い、数時間後に覚醒した時にはデニースの姿はなかった。

 しかし、彼にはすぐに通報できない理由があったのです。

事件発生から11時間後の通報

 2時間ほど経過した朝5時頃に覚醒したアーロンは、自分のいる場所の床に赤いテープで仕切りが貼られ、天井には監視カメラが設置されていることに気づく。そこで彼は犯人の「監視しているから勝手に動くな」という指示を思い出す。

 ただし、ソファテーブルにはご丁寧にハサミと彼の携帯電話が置かれていた。犯人は「動くな」と脅す一方、職場に電話して自分たちが欠勤すると伝えるようにとも指示を出していた。相手は「プロの犯罪集団」。デニースや家族が殺されるという恐怖と、身代金さえ払えば彼女を返してもらえるという考えから、アーロンは指示通り職場に電話し、警察への通報を踏みとどまった。

 その結果、アーロンが意を決して警察に通報したのは、事件発生から11時間が経過した午後2時前。駆け付けた捜査官はこうした現場状況を見るや、最初からアーロンに疑いの目を向けることになりました

囚人服で18時間も事情聴取

 床の赤いテープに天井の監視カメラ、緑色の液体に黒いテープで目隠しされた水中ゴーグル。映画に出てくるような大袈裟な「演出」で、身代金は信じがたいほどの低額。しかもアーロンは、ハサミと携帯電話が近くにあったにもかかわらず、11時間も通報しなかった。

 警察の疑いは確信に変わります。

 彼がデニースを殺害し、それを隠すために誘拐を装っていると見て、現場ですでに「殺人事件」としての捜査に切り替えた。つまり、一貫してデニースの「遺体」の捜索に捜査の全精力を傾けるのです。現場検証など、ほとんど行われていないに等しい。

アーロンはすぐさまバレーホ警察でオレンジ色の囚人服に着替えさせられ、18時間もの間、事情聴取を受けます。

「お前が殺したんだろ!」

「違う、僕はやってない……」

 そんな押し問答が続く間も、警察は100人態勢でデニースの遺体を捜す。が、もちろん遺体も証拠も出るはずはない。翌日、警察は渋々アーロンを「釈放」する。

 しかし、彼を「自供」させられなかったことがよほど口惜しかったのか、何と囚人服を着せたまま、メディアが集まる正面玄関から表に出した。「犯人はこいつだ」という明白な印象操作です。

 そしてデニースが「発見」されたのは、その翌日のことでした。

「狂言誘拐」と断定

 時間を事件発生時に戻します。

 彼女はアーロンが眠り薬で意識を失うと、車のトランクに乗せられ、バレーホから約250キロ東の町にある犯人の家に連れて行かれます。そこに2日間監禁され、繰り返し乱暴された。実は、犯行の目的は身代金などではなく、はなから女性を乱暴することが狙いだったのです。

 そして3月25日午前9時、今度はデニースをバレーホから650キロも南にあるハンティントンという海岸沿いの町に連れて行き、そこで解放する。日本で言えば、東京から大阪以上の距離。犯人は、バレーホでは大勢がデニースを捜していたので、人目を避けるために遠く離れた彼女の実家近くを選んだ。

 しかし、バレーホ警察はデニースが見つかると、今度はアーロンだけでなく彼女にも疑いの目を向けるようになる。

 と言うのも、彼女も犯人を「プロの犯罪集団」だと信じ切っていたので、犯人グループの誰かが戻ってきて自分や家族を襲うかもしれないという恐怖におののき、ハンティントン警察に事情を聞かれても何も話さなかった。さらに、その後でバレーホ警察に移動することになっていたのですが、先に弁護士に会うべく、行方をくらましてしまった。

 これが、バレーホ警察のアーロンとデニースに対する疑いを一挙に沸騰点にまでもっていってしまう結果となってしまった。その夜、バレーホ警察の広報官は、こんな声明を発表しました。

「これからは、2人を被害者や目撃者としては扱わない。2人の主張はまったく証明できない。それが捜査の結論だ。24時間体制で行った捜査が無駄なものだったと想像してください。これは途方もない損失です」

 この瞬間、警察はこの事件を、2人がでっち上げたもの、すなわち「狂言誘拐」だと公式に断定したのです。そしてその会見で捜査官が自ら、映画『ゴーン・ガール』を引き合いに出した。会見は全米のテレビニュースに流れ、あらゆるメディアが一斉に飛びつき、瞬く間にこの事件は「リアル版ゴーン・ガール」として全米に知れ渡ったのです。

 以後、2人はメディアから猛烈なバッシングを受け続けます。誇りを持っていた理学療法士の仕事も失った。銀行口座も凍結され、クレジットカードも使えず生活にも不自由するばかりか互いに自宅にも居られなくなり、アーロンの実家に身を隠し、「犯罪者」を見る世間の冷酷な目からひたすら逃れ続ける日々を送ることになったのです。

ハーバード出身の弁護士

 しかし4カ月後、ある日突然、まったく予想もしない展開が待ち受けていました。信じがたいことですが、本当に奇跡のような偶然で「犯人」が逮捕されたのです。

 それはまさしく、ふとした偶然に偶然が重なってもたらされたものでした。

 6月5日深夜、バレーホ市近郊のダブリンという町で、民家に男が押し入る事件が発生。その家に住む若い女性を襲おうとしたところ父親が気づいて男に抵抗し、その隙に母親が通報。犯人は警察が来る前に逃げ出したものの、間の抜けたことに携帯を落として行った。それで足がつき、日を置かずに逮捕。事前に綿密な下調べをし、スタンガンで襲う手口。そして脅迫の文言なども含め、余罪も疑われました。父親が想定外の抵抗をしたことで未遂に終わったわけですが、アーロンとデニースに対する犯行と手口がよく似ている。

 しかしダブリン警察は、その犯人がデニースの事件と同一犯だとはまったく考えてもいなかった。未遂の事件なので、大きく報道されることもなかった。

 ところが、たまたまその事件の担当者が自宅に帰って妻に事件の話をしたところ、妻からこう言われる。「それって『リアル版ゴーン・ガール事件』に似てるわね」。全米で繰り返し報じられ、映画も大ヒットした余熱が冷めきっていなかった頃だけに、担当者の妻の記憶にはまだリアルに残っていたのでしょう。これで事態は一挙に動きます。押収した犯人の車や自宅の捜査などから続々とデニースの事件に関する証拠が発見され、ダブリン警察が正式にバレーホ警察に連絡したのです。

 バレーホ警察にとっては、まさに驚天動地の一報だったに違いありません。それこそ信じがたい結末だし、信じたくなかったでしょう。何しろ、誘拐暴行の被害者を「犯罪者」であると、全米ならず全世界に向けて断言し、同時に自分たちの無能さと非道さを満天下に知らしめる結果となったわけですから。

 翌月、改めてデニース誘拐暴行事件の犯人として逮捕された男は、その華麗な経歴から改めて全米の注目を集めることになります。マシュー・マラ―(当時38)という元弁護士のその男は、高校卒業後に海兵隊を経て全米ランキング1位の大学ポモナカレッジに進学。ハーバード大学法科大学院修了後に弁護士資格を取り、一時期はITに詳しい弁護士として度々メディアにも登場する、絵に描いたようなエリートでした。

真犯人から送られていた「犯行声明」

 FBI捜査資料などによる本人の供述によれば、「プロの犯罪集団」など真っ赤な嘘で単独犯、目的も金銭ではなく女性の乱暴でした。

 ただ、事件が「狂言誘拐」という思わぬ方向に進んだことには驚いたようです。それでマラーは、バレーホ警察の広報官に対して「デニースに謝罪しないと襲撃する」と脅迫メールを送り、ある地元メディアの記者にも直接、「犯行声明」を送りつけたりもした。

 とは言え、それはデニースへの同情というより、見当違いな捜査をしている警察への嘲笑と、絶対に自分は捕まらないという、歪んだ自己顕示欲の表れだったのでしょう。

 しかし警察もメディアも、逆にそのメールはアーロンの自作自演の証拠だという程度にしか受け止めなかった。実際、送信元はアーロンのメールアドレスだったのです。ITに詳しい弁護士だった犯人マラーにとっては、アーロンのアドレスを乗っ取って本人になりすますことなど造作ないことだったのでしょう。

3億円の賠償金

 事件から3年が経ち、マラーは現在、デニースへの「誘拐罪」だけで禁錮40年の刑が確定して収監されています。検察側は終身刑を求刑しましたが、自供も含めて捜査に協力したということで禁錮40年。生きている間に連邦刑務所から出所できるかどうか。

 ただ、驚くべきことに、我々が本人に話を聞くべく取材を申し込んだところ、本人はインタビューを受けるつもりだったのです。ただ最終的に、弁護士が止めてしまいました。今後、誘拐時の暴行などの罪や別の事件(ダブリンでの家宅侵入など)で訴追される可能性があるからあそうです。

 一方、アーロンとデニースは3月16日、最初にお話ししたバレーホ市と警察官を相手取った民事訴訟で勝訴。市がアーロンとデニースに250万ドル(約3憶円)の賠償金を支払うことで決着しました。

 現在、2人は婚約中で、今年9月に結婚する予定です。

 しかし、潔白が証明された今も、彼らの傷は癒えていません。

 それどころか、実は事件のすべてが解決したいまでも、2人は、犯人はマラー1人ではなく間違いなく複数犯で仲間がいると信じ込んで疑わない。デニースは監禁されていた時、確かにマラー以外にも家に人の気配がした、それも複数だったと、我々のインタビューにも答えている。実際には、それはそう思い込ませるマラーの演出――目隠しをしたまま放置し、わざとあちこちで足音をさせたり――だったとマラー本人が自供しているにもかかわらず、いまだに、もしかすると仲間の報復があるかもしれないと、真剣に怯えている。アーロンも、犯行当夜に2階の寝室で拘束されていた際、階下のリビングで誰か別な人物が歩き回っていたと信じ、証言している。だから2人とも、いまでも本当に怯え続けている。あたかも、マラーによって一種の「洗脳」を受けたかのようで、そこがこの事件の悲惨さ、悲劇性をさらに際立たせていると思います。

 ただ、単独の犯行であることは犯人マラー自身が供述していることなのですが、実は警察はその点についての捜査はまったく行っておらず、つまり裏は取れていない。もちろん、メディアも追及していません。つまり、その点についての真相は闇の中です……。

 今回、2人が我々日本のメディアの取材に応じてくれたのも、米国内メディアへの不信感の裏返しなのだと思います。

 インタビューでアーロンは、警察で18時間も事情聴取を受けた時のことを、こう振り返っています。

「彼らは私のことを“冷血なモンスター”と呼び、デニースをどこに葬ったのか聞き続けました。ものすごく攻撃的で、ドアをロックして私を辱めた。彼らは確たる証拠もないのに私を殺人犯として攻め立てたのです」

 そしてデニースは、涙ながらにこう訴えます。

「私たちの名前や写真を誰もが知っているにもかかわらず、とても孤独でした。そして、私たちが経験しなければならなかった恐ろしい事件のことも皆が知っているのに、その目は私たちに向けられていました」

 真実の被害者であるのに、あり得ない冤罪の被害にも遭ってしまったアーロンとデニース。2人はいま、ようやく普通の生活を取り戻しつつあるように見えますが、その心の裡にはいまだに決して癒えない傷を抱えています。その自分たちの心情を率直に、カメラの前ですべてを語ってくれた貴重な証言、是非番組でご覧ください。

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Foresight 2018年5月3日掲載

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