ソ連を追い詰めた「ジャパニーズ・テープ」 大韓航空機撃墜事件で見せた日米の連携

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 1982年11月から5年間続いた中曽根政権は、強固な日米同盟を築いたことで知られる。83年9月の大韓航空機撃墜事件でも両国は見事な連携を見せた。あれから三十余年。米国のレーガン大統領図書館に眠る公文書をひもとき、「ロン・ヤス」関係の真実に迫る。

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 過去の歴史を振り返ると、たった一つのごく短い言葉が世界の流れを変える引き金となった事例がある。今から三十数年前に録音された極秘の音声テープ、その中の「目標は撃墜された」という言葉もその部類だったのかもしれない。

 昨年来日したドナルド・トランプ大統領は安倍晋三総理とファーストネームで呼び合い、ゴルフを楽しんだが、そんな2人をマスコミは「ドナルド・シンゾー」関係などと書き立てた。この報道を目にしてどうしても思い出すのが、今から30年余り前、当時のロナルド・レーガン大統領と中曽根康弘総理の所謂(いわゆる)、「ロン・ヤス」関係である。

 就任間もない1983年1月に訪米した中曽根はワシントンで初の日米首脳会談に臨み、この時にレーガンは一目で日本の新総理を気に入ったという。

「朝飯か、レーガンとの内輪の食事をした時に、レーガンが私に『私のことをこれからはロンと呼んでくれ、貴方をヤスと呼んでいいか』と言うので、『イエス・サー、OKだ』と答えて、ファーストネームで呼び合うようになりました。レーガンが命名した『ロン・ヤス』という略称は、ホワイトハウスと官邸に新しい関係ができたことをアピールするために積極的に広めました。日米首脳間で、ファーストネームで呼び合う仲というのは歴史上初めてだった」(『中曽根康弘が語る戦後日本外交』新潮社)

 折しも80年代初めの日本はバブル景気に向かい始め、その膨張する経済力は米国と深刻な摩擦を引き起こしていた。その中で「ロン・ヤス」関係は日米のトップを強い絆で結び、関係改善に大きく寄与したとされた。

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