75歳直前で作家デビュー 遅咲きの達人「加藤廣さん」遺作は“島原の乱”

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「少(わか)くして学べば壮にして為すことあり 壮にして学べば老いて衰えず 老いて学べば死して朽ちず」(佐藤一斎『言志四録』)

 歴史作家の加藤廣さんは、この言葉が好きだった。

 実際、250万部のベストセラーとなった『信長の棺』でデビューしたのは75歳直前。作家としては超が付くほどの遅咲きだ。それまでは、現役の経営コンサルタントだったのである。

 昭和5年、東京生まれ。新宿高校から東大法学部、そして中小企業金融公庫に就職する。調査部長などを歴任し、順調な出世を遂げていた加藤さんだが、古い体質の組織には、どこか馴染めないでいた。

 もともと社外の人間との付き合いが多く、田中角栄元首相から国土庁(現国土交通省)への転職を誘われたこともあった。

 文章を書くことが好きだった加藤さんは、仕事の傍らペンネームで雑誌に経済記事などを寄稿するようになる。そして昭和55年、公庫を辞めて独立。山一證券経済研究所顧問などを務める。51歳のときだった。

「コンサルタントとして加藤さんは多くのビジネス書や教養書を出していました。しかし、もともと好きだったのは純文学。いずれは文学作品を残したいと考え、自分の経験や興味を踏まえて歴史小説の分野に乗り出したのです」(担当編集者)

 デビュー作で脚光を浴びた加藤さんは『秀吉の枷』、『明智左馬助の恋』など話題作を次々と発表する。

「小説の構想を得たら徹底的に資料を調べる人で、母校の東大図書館に何週間もこもっていました」(同)

 米寿を前にしても、小説誌への連載を精力的にこなしていたが、最近は弁膜症を患い病院通いが増えていた。そして循環器不全で4月7日に旅立った。享年87。遺作は5月に発表される。島原の乱がテーマだ。

週刊新潮 2018年4月26日号掲載

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