「平成の怪物」松坂大輔:メジャー「栄光の日々」に隠された「復活の悲願」

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 不死鳥――と呼ぶにはさすがにまだ早いかもしれない。だが4月19日、ナゴヤドームで行われた阪神タイガースとの一戦で中日ドラゴンズの先発投手として見せた松坂大輔投手の7回123球、4安打2失点の力投は、復活の兆しを感じさせるには十分だった。ただし、結果は今季2敗目。

 2戦連続で負け投手にこそなったが、前回の初登板に続き、打線の援護を得られない中でも気持ちを切らさずにゲームメーク。強力なタイガース打線を相手に試合終盤のイニングまで“クオリティスタート”の投球内容で凌いだ。かつて「平成の怪物」と呼ばれた全盛期のような力でねじ伏せる投球ではなかったにせよ、再三のピンチにも粘りながら最少失点で切り抜けた。

 今から約3カ月前。今年1月末に自ら売り込んだ中日の入団テストを受けて合格が決まったが、その時点で野球ファンの大半が「どうせ、うまくいくはずがない」と思っていたはずだ。昨季まで3年間、推定年俸3億円という破格契約で福岡ソフトバンクホークスに在籍したものの1軍登板はわずか1試合に終わり、戦力として期待されながら何もできないまま退団。その“トラウマ”があるだけに、所属チームが変わっただけでいきなり復活する姿を想像することは、誰だって難しいに決まっている。しかし松坂は、ここまで懸案だった右肩の痛みを昨オフに完治させ、大方の予想を覆す形でベテランならではの粘投とともに復調を印象付けた。

 新天地での契約内容は、年俸1500万円(推定)。出来高が加わっているとはいえ、一般的にはドラフト1位のルーキーと同額だ。昨季3億円だった年俸の減額率は96%で、育成選手を除けば、プロ野球史上最高の下げ幅になる。しかも1年契約であることを考えると、文字通りに裸一貫のスタートと言えるだろう。

 それにしても、37歳のベテラン右腕は、なぜここまで執念を燃やしてマウンドに立ち続けているのか。普通に考えれば、右肩の痛みと戦いながら満足の行く結果を残せずファーム生活を強いられ続けていたホークス時代に体力の限界を悟り、ユニホームを脱ぐ決意をしても何ら不思議はない。しかも、あの頃はネット上でも「給料泥棒」だの「投げる投げる詐欺」などとバッシングを受け、すっかり悪者扱いされていただけに、精神的にも参っていたはずだ。

 いくら本人が「自分に関するネットの情報は一切見ない」というスタイルを貫いていても、世間の反応は周囲を通じてどうしても耳に入ってくる。それでも、松坂は自分にこう言い聞かせ続けた。もう一度、必ず1軍の先発マウンドに立って勝利の雄叫びを上げる――。その強い信念を突き動かしたのが、メジャーリーグで人知れず味わっていた「不完全燃焼」だった。

揶揄された「ビリオネア・マン」

 2006年オフに西武ライオンズからポスティングシステムを行使し、メジャーリーグの強豪ボストン・レッドソックスへ移籍した。ボストン側が用意した総額は、入札金5111万ドルと松坂に支払う6年総額5200万ドルの年俸を合わせた合計1億311万ドル。当時のレートに直すと、約120億円もの大金だ。「平成の怪物」の超大型移籍は、ビッグニュースとして日米の話題を独占した。

 もちろん、松坂も移籍決定の当初は喜びに満ち溢れていた。しかし、それも束の間、入団するとすぐにさまざまな思わぬ障壁にぶち当たる。最大のネックとなっていたのは、チームメートとのコミュニケーション不足だった。通訳や個人トレーナー、専属広報らを引き連れ「チーム・マツザカ」を結成し、異国の地でも万全の体制を築き上げたはずが、逆に足かせとなってしまっていたのである。

 松坂は英語をほとんど喋れない。だから海を渡った直後も「チーム・マツザカ」の面々に頼り、チーム内では四六時中行動をともにしていた。しかもボストンのクラブハウスには、松坂の専用ロッカーの前に、日本から大挙押し寄せたメディアが、登板日以外でもコメントをもらおうと常に待ち構えている。他のチームメートから奇異の目を向けられ、距離感ができてしまうのも無理はなかった。

 いきなり日本からやってきた1人の新参者がロクに話もしないまま、デカい顔をしながら自分の国のマスコミに囲まれてヘラヘラしている――。周囲の目には松坂がそのように映ってしまい、一部の同僚から「ビリオネア・マン(億万長者の男)」と陰で呼ばれながら散々コケにされていた。球団が大枚をはたいて獲得したことを揶揄する意味が込められていたのは説明するまでもあるまい。

 当時、松坂が通訳を交えず少しでもボディランゲージを使って会話を試みるなど、もっとコミュニケーションに積極的な姿勢を示していれば、恐らくミゾは深まらなかっただろう。しかし、彼にはメジャー1年目から大型契約に見合う活躍が求められ、とてもではないがマウンドで結果を出すこと以外に目を向けられる余裕などなかった。とにかく必死だった。

 いま、今季からロサンゼルス・エンゼルスでメジャーデビューするや、3試合連続ホームランに早々の2勝という“二刀流”の威力をいかんなく発揮し、米メディアも唸らせた大谷翔平投手(23)が脚光を浴びている。大谷の場合、片言でも自ら積極的にチームメートに話しかけて溶け込んでいることが、結果にもつながっていると評される。性格にもよるのだろうが、松坂とは対照的だ。

「孤独を感じます」

 ただ世界最高峰のリーグで野球がやりたい。ずっとそんなシンプルな思いだけを貫き、ようやく夢を実現させたというのに、どうしてチームメートは分かってくれないのか。メジャーリーグは野球に集中できる環境ではないのか――。松坂はメジャー1年目から文化の違いと言語の壁にぶつかり、大きな悩みを抱え込んでいた。MLBの理想と現実の違いに直面し、苦悩し続けていたのだ。

「孤独を感じますね」。

 これが、この頃の本人の口ぐせ。しかし日本のメディアからはまったくの冗談と思われ続け、スルーされていたこの言葉は、実を言えば思いのほかに根が深い本音だった。

 メジャー1年目、2007年シーズンの夏場に入った時期。ロッカーが隣の某主力選手に自ら挨拶しても返事すらもらえず、無視されることが多くなった。露骨な嫌がらせであることは明らかだった。それでも、ここでようやく気付いた。ずっと思い詰めて落ち込んでいたら、今まで数々の犠牲を払ってこの地にやってきたことがすべて無駄に終わってしまう。たとえ孤独感を味わっても開き直ってマウンドで勝ち星を重ね、邁進していくしかないのだ――と。そのセリフを呪文のように唱え、自分の胸に何度も言い聞かせた。

 レッドソックスでルーキーイヤーに最初の指揮官となったのが、テリー・フランコーナ監督だった。投げ込みを重ねるうちに調子を上げていく、日本時代からの独特な「松坂流調整法」を一切認めてもらえず、あくまでもMLBのしきたりを徹底させられたことで意見の相違が生じた。後任の指揮官となるジョン・ファレル投手コーチからも、ブルペンでの練習時に必ず、一定の球数になると、もっと投げたくても有無を言わさずにボールを取り上げられた。「郷に入れば郷に従え」は理解しているつもりでも、あまりに管理され過ぎているやり方と自分の主張が一切受け入れられないことに戸惑いを覚え、その点でも孤独感を味わった。

 それでもメジャー1年目で日本人初の15勝を飾り、チームをワールドチャンピオンに導くと、翌2008年は日本人シーズン最多の18勝をマーク。数々の金字塔を打ち立てながらも、松坂は後々周囲に「メジャーではただ黙々と野球をやっている感じだった」と、疎外感を味わいながらプレーし続けていたことを打ち明けている。

「もう1度、皆と喜びを分かち合いたい」

 シカゴ・カブスで球団副社長を務めるセオ・エプスタイン氏は、かつてレッドソックスGMとして2006年オフの松坂獲得に尽力した人物だ。同氏はかつて米スポーツ専門局『ESPN』の番組インタビューで、松坂の知られざる一面についてこう述べている。

「非常に素晴らしいプレーヤーだが、とてもピュアで繊細な心の持ち主でもあった。印象に残っているのは2007年、インディアンスとリーグチャンピオンシップ第3戦で敗戦投手になった試合後のことだ。彼はビジターのクラブハウスで自分のロッカーの前に座り、たった1人で責任を背負い込み、そして落ち込んでいた。だが、誰からも声をかけられなかった。ダイスケは常に全力を尽くしてくれた男だが、『ロンリー・ウルフ』だった。まるで精密機械のように、黙々と仕事をこなしているように思えた。時にそれは気の毒にも思えたよ」

 トミージョン手術で右ひじにメスを入れた2011年6月以降、松坂はパフォーマンスが低下し、かつてのような球威がなくなっていた。8年間に渡る栄枯盛衰のメジャーリーグ時代は終わりを告げ、2014年から再び日本球界を主戦場に選んだ。松坂を古くから知る関係者は、こう言う。

「大成功を収めたと思われているメジャーリーグ時代、彼は孤独と疎外感を覚えたことで野球が楽しめなくなっていた。『もう1度、日本で満足のいく結果を残し、皆と喜びを分かち合いたい。原点に立ち返りたい』という強い思いこそが、今の松坂の原動力となっている。それをホークスでは残念ながら果たせなかったことで、西武ライオンズ時代から親交の深い森(繁和)監督とフロントのデニー(友利結氏)さんに頭を下げ、ドラゴンズ入団に最後の望みを託したのです」

   日米を大きく沸かせる二刀流・大谷投手のような卓越した異次元レベルのスーパープレーは、さすがにもう見せられない。しかし、「平成の怪物」と呼ばれた男がボロボロになりながらも納得のいくシチュエーションを追い求め、もう一度輝こうともがく姿には、むしろ胸を打たれる。次回登板は、4月30日に本拠地ナゴヤドームで行われる横浜DeNAベイスターズ戦。不死の鳥となって再び羽ばたく怪物の復活を、ぜひともこの目で見届けたい。

川口勝男
スポーツジャーナリスト。

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