「山辺節子」判決手記 借金返済のため架空投資、若いツバメとタイ逃避行…支配した“生き物”の正体
「控訴はしない」
金の使い道の1つが“男”であった。あるグループで集めた金を、別のグループの配当金にあてるなどして何とか破綻を免れていた14年10月、彼女はフィリピン、マニラでダイクスという名のホストに出会っている。
〈出逢って1カ月、2回目の逢う日が近付いた。私は目尻、目の下、口元にボトックスやヒアルロン酸を注入し顔の若返りを行なった。さらに胸にもヒアルロン酸を入れ、張りのある形のいい胸にした〉
その後、彼女は契約書まで作成してダイクスを自らの愛人に。金策の合間をぬうようにしてフィリピンに渡り、逢瀬を重ねた。しかし、そんな綱渡りのような生活は長くは続かなかった。15年9月、ついに出資者への支払いが出来なくなったのだ。
以降、出資者との連絡を絶って逃亡者のような生活を送るようになったが、彼女が自らの足元を見つめ直すことはなかった。何しろ、その期間にタイのバンコクで知り合った恋人と結婚する約束までしていたのだから。昨年3月30日、彼女はそのタイの地で身柄を拘束された。
その後、熊本県警に逮捕された彼女は留置場に入ってから50日目の夜に自殺を図り、失敗している。それ以降も死ぬことだけを考えていた彼女だったが、刑事の取り調べを受けるうち、少しずつ心が〈解凍〉されていったという。そして、留置場から拘置所に移動した昨年6月27日、“それ”は起こった。
〈何かすうっと身体から抜けた。わずかな笑い声が聞こえたような気がした。拘置所の房からは空が見える。その空の方へ向かって消えて行った。私はそれが何かわかった。生き物だ〉
〈それは得体の知れない生き物ではなく、虚栄であり、見栄であり、優越の固まり、それらのたぐいを全部集めて生き物を創っていたのだ。まぎれもなく私であり私の正体そのものなのだ。私は現実を受け入れる事がやっと出来た〉
〈目立たぬようにこの時を過ごそう。私にまつわる全ての事、空気までもやりすごそう。ひたすら時計と寄り添おう。精巧な秒針を信じて身を委ねて生きよう。刑の終わりはいつかやってくる。ここまで考えるのにどれ位の時間が経ったのか覚えていない〉
昨年7月4日に行われた初公判で、全面的に罪状を認めた山辺。今年3月26日の論告求刑公判で、検察側は懲役10年を求刑した。
判決公判が行われる約1週間前、山辺は拘置支所の面会室でこう語った。
「どのような判決になっても、控訴するつもりはありません。私が刑期をつとめることで、被害に遭われた方々の溜飲が下がるなら……。それをお願いするしか出来ないし、申し訳ないと思っています」
その殊勝な態度は、確かに、長らく彼女を支配してきた“生き物”の不在を示しているように見えた。
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