「自分だけ父から暴行」「本当の弟たちは慶應に…」 新生児取り違え事件、被害者たちの苦しみ
新生児取り違えは、アイデンティティを奪われ、違和感に覆われた縁もゆかりもない場所で生きることを強いられる点で、拉致被害に似ている。にもかかわらず、小林義之さん(51)=仮名=が被害者となった「週刊新潮」報道の取り違い事件では、加害者たる順天堂医院が、小林さんと取り違えられた相手の「平穏な生活」を乱すなと強弁し、本当の親に会わせてほしいとの訴えを拒んだ。拉致の常習国をなお「地上の楽園」と呼ぶのにも似て、空恐ろしさすら禁じ得ない。
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「本当の親が知りたい。それだけなんです。知る怖さはあるけど、知らないでいるほうが幸せだなんてことは絶対にない。近所の親子連れを見ても、親子が出てくるドラマを見ても”俺の本当の両親はだれなんだ”と考えてしまいます。50歳をすぎて本当の親を知っても、いまさら人生は変わらないでしょう。それでも知りたい。仮に私が生まれたとき30歳だったら、もう80歳。時間がないけど、ギリギリ間に合うかもしれない。母だって本当の子供に会いたいはずです。私は最後の親孝行に、母の本当の息子も探したいんです」(小林さん)
取り違えの事実を突きつけられた被害者たちは、順天堂がいうように「平穏な生活」を乱され、恨んでいるのだろうか。1958年に都立墨田産院で取り違えられた江蔵智さん(60)が実名を明かして語った。
「私は父母と弟の4人家族で育ちましたが、小さいころから、家族のなかで自分だけ違うと感じてきました。どうして性格がこうも合わないのか、と思うことが何度もあった。笑うところも怒るところも私だけ違ったんです。顔についても、親戚が集まるたびに”どっちにも似てないね”と言われ、叔父に”チヨちゃん、浮気してたんだろう”と言われるたびに、いつもは勝気な母が泣いていました」
その後の成り行きは小林さんと少し似ている。
「父からはよく殴る蹴るの暴力を受けましたが、弟は一度も殴られたことがないんです。中学に入ると反発し、14歳で飛び出してから、家にはほとんど帰りませんでしたが、私が39歳のとき父から母の入院を知らされ、久々に会いに行きました。そのとき母の血液型について、医者に”父も弟もO型、私はA型なので、AかOです”と伝えましたが、検査するとB型でした」
遺伝子の突然変異と思い込むことにしたが、04年にDNA検査で、親子の関係が否定されたという。
「その瞬間から”産みの親に会いたい”と思い続けています。自分を産んでくれた親の顔を見たいし、どんな家で育ち、どんな人生を送ってきたのか、どうしても知りたい。父や弟は”もういいじゃないか”と言いますが、そう言ってしまえる時点で、自分とは血がつながっていないとあらためて思わされました」
江蔵さんは06年、都を訴えて勝訴したが、実の親族には会えないままだ。
「死ぬまでにどうしても産みの親を知りたい。取り違えられた相手にも、私を育ててくれた両親がどんな人で、私がどんな家で育ったか教えてあげたい」
そう強く語りながら、順天堂に意見する。
「平穏な生活を壊すという理由で本当の親を教えないのは、絶対に間違っています。私も取り違えられたと知って驚き、悩み、それから毎日本当の親のことばかり考え、時間もお金も費やしましたが、知らないほうがよかったと思ったことは一度もありません。真実を知ってよかった。平穏どころか、取り違えられて苦労している可能性があるので、事故を起こした病院がきちんと調べるべきです」
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