金本位制の崩壊と管理通貨制度への移行
第1次世界大戦の勃発で、各国とも金本位制を一時中止し、管理通貨制度に移行した。戦争によって増大した対外支払のために、金を政府に集中させることが必要になったからである。
また、戦禍のため、世界最大の為替決済市場であったロンドンが活動を停止したこと、各国間での為替手形の輸送が途絶したことなども影響した。
ただし、これはあくまでも一時的な措置で、戦争が終われば解除されるはずのものであった。
事実、アメリカは大戦終了直後の1919年に金輸出を再開し、金本位制に復帰した。
また、1922年に開催されたジェノア会議において、先進各国ができるだけ早く金本位制に復帰することを求める決議もなされた。1925年には、イギリスをはじめ各国が金本位制に復帰した。
この時、イギリスは国家的威信にこだわり、旧平価(大戦前のレートである1ポンド=4.86ドル)で金本位制に復した。これは、イギリスの繊維・機械・石炭産業が衰退して国際競争力を失っていた現実からすれば、ポンドの過大評価であり、輸出が減少し、貿易収支が悪化した。
金は圧倒的な経済力を有するアメリカに集中した。これは、アメリカの株式市場が暴走する1つの原因となった。
日本は遅れて金を解禁するが、2年で再禁止
日本の状況を見るには、当時の政治状況を知っておく必要がある。
まず、立憲政友会(略称は政友会)があった。これは、1900年(明治33年)に伊藤博文が憲政党や官僚、地方の名望家などを組織して結成した保守政党だ。藩閥政府の与党であり、地主などを支持基盤とした。
これに対する憲政会は、1916年(大正5年)に結成。1927年(昭和2年)に政友本党と合流し、立憲民政党と改称した(略称は民政党)。政友会の対立会派として、二大政党政治を確立した。都市中間層が主な支持基盤。
政友会は金解禁を時期尚早とし、 憲政会は国際協調を重視して早期解禁を主張していた。
政友会政権(原敬内閣・高橋是清内閣)は、国内に対する積極財政政策などから、金解禁を先送りしていた。1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災に対処する金融措置の必要から、金解禁はさらに先延ばしにされた。
1926年(大正15年)1月に成立した憲政会の若槻禮次郎内閣の大蔵大臣片岡直温は、金解禁の断行を公約とした。
1927年(昭和2年)には、金融恐慌が起きる。
1928年(昭和3年)フランスの金本位制復帰により、主要32カ国中で復帰していない国は、日本を含め6カ国を残すのみとなり、内外から批判を浴びた。
為替相場は、震災後一時100円につき38ドル台に低下したが、昭和年代には年平均46~47ドルに回復した(旧平価は100円=49.875ドル)。
しかし、相場の大きな変動は、正常な国際取引を阻害した。為替相場の不安定に悩まされた金融界と貿易関係業界から、金解禁による為替相場の安定化を望む声が上がり、東京・大阪の両手形交換所と東京商工会議所から「金解禁即時断行決議」が政府に対して出された。このように、国内世論は、金本位制への復帰を望んでいたのである。
当時の日本に、「強く安定した円」を求める世論があり、それを党是とする政党が存在していたことは、極めて興味深い事実だ。戦後の日本では、そうした意見は消えてしまった。本来は労働者の立場から円高を求めるべき平成の民主党さえ、政権時代に円安を求めて介入を行った。当時の経済政策論争の方が、遥かに健全だった。
1929年(昭和4年)7月、金解禁即時断行を主張する民政党の濱口雄幸内閣が成立。蔵相の井上準之助は、ただちに解禁の準備に着手した。
緊縮財政によるデフレ政策を推進して、国内物価の国際物価へのさや寄せを図るとともに、1930年(昭和5年)1月11日に旧平価による金解禁を実施することを、1929年(昭和4年)11月21日に発表した。
浜口首相、井上蔵相の意図は、為替を安定させて産業を合理化し、日本経済の国際競争力を高めることにあった。
しかし旧平価による解禁は、日本経済の実勢に対して円高であった。そのうえ、1929年10月ニューヨーク・ウォール街の株式暴落に始まった世界恐慌が深刻化していた。輸出は振るわず、日本経済は不況に陥った。
1930年(昭和5年)1月11日、旧平価による金解禁が実施された。
井上は金本位制維持のため、緊縮財政政策を続けた。しかし1931年(昭和6年)9月18日、柳条湖事件をきっかけに満州事変が勃発。9月21日にイギリスが金本位制を停止した。
緊縮財政と金本位制の条件が崩れたと見た大手銀行や投機筋は、金再禁止が近いと見て、一斉に円売りドル買いに殺到した。井上は円を買い支えて防戦に努めたが、金の流出が続いた。
同年12月13日、政友会の犬養毅内閣が成立して高橋是清が蔵相に就任すると、ただちに金輸出再禁止が実施された。こうして、日本の金本位制は終焉した。
この間にドルを買い占めた大銀行は、莫大な利益を上げた。
各国も金本位制から離脱。1937年6月のフランスを最後に、すべての国が金本位制から離脱した。
このように、第1次世界大戦後の金本位制の時代は、ごく短期間に終わった。
これ以後、世界は、通貨発行を金にリンクさせない「管理通貨制度」へと移行していく。
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