セクハラ「福田財務次官」の迷走 財務省は安倍総理に、なぜ楯突くのか
なぜ福田次官は「反省」するのか
福田事務次官に関しては、信じることが相当に困難な主張が、少なくとも2つ存在する。もちろん1つは、「セクハラを行っていない」と身の潔白を主張したことだ。音声を聞けば誰でもそう思うだろう。
さらにもう1つは、福田次官が示していた「反省」だ。12日に「週刊新潮」が発売され、国会で議論となった。それを報じた「セクハラ報道 次官注意 財務相 処分はしない方針」(読売新聞/4月13日朝刊)に、こんな記述がある。
《麻生氏は、今後の対応について、「(福田氏に)十分な反省もあったと思っているので、それ以上、聞くつもりはない」との考えを示した》
確かに福田次官は“反省”しているらしい。16日に財務省が発表した広報文書にも記されている。「反省の上で、麻生財務大臣からも注意いただいたように、緊張感を持って職務に取り組んでまいりたい」とある。
だが、やってないことを反省する必要はない。「私は『殺人事件の真犯人』と報道機関に誤報されました。ただ、『誤報されるぐらい私も悪いところがあった』と反省します」と謝罪する者は誰もいない。誤報の被害に遭えば、全力で身の潔白を主張するだろう。
やはり語るに落ちたのだ。心当たりがなければ「反省」という文言は出ない。福田事務次官には「反省」が必要だという自覚があるのだ。
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