13名の命を奪った「地下鉄サリン事件」実行犯たちの今

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末期のオウムの焦り

 3名は、サリン事件以外に、ほとんど凶悪事件との縁がなかった。なぜ彼らが選ばれたのか。人選からは末期のオウムの焦りが伝わってくる。

 事件後、豊田、広瀬は法廷で反省の弁を述べ、教祖と対立した。他方、横山は警察の厳しい取り調べに対しての怒りを述べただけで、後は沈黙を守ったまま。豊田、広瀬は2009年、横山は2007年に死刑が確定した。

 作曲家・指揮者の伊東乾氏は、豊田と大学時代の同級生。現在も交流を続ける。

「法務省の交通許可を受け、月に1度程度接見しています。事件と無関係な物理の問題などを共に考えることが大半です。『再発防止』を大切に考え、獄中から大学生と文通などもしてきた。食べ物の差し入れは、量を減らしてほしいと言われました。体重を落とすようにしているようです。高橋克也、菊地直子の裁判前後から痩せたように思います」

 広瀬と交流を持ったのは、オウム事件に詳しいフォトジャーナリストの藤田庄市氏だ。

「2008年、当時、私は非常勤講師をしていた大学でカルト宗教の恐ろしさについての授業をしました。そこで、広瀬に手記を依頼したところ、内省と教訓を、手書きで59枚も書いてくれたのです。彼は実に達筆。これは、被害に遭われた方に謝罪の手紙を書くために、獄中でペン習字の勉強をしたから。厳密で融通の利かないところはあるけど、誠実な男でした」

「沈黙の人」横山は、先の移送で名古屋拘置所に移されたばかり。実家に住む老父が言葉少なに言う。

「それまでは月に1度は会いに行っていたけど、今は遠くなっちゃった。もうオウムは信仰していないよ。一度あのような道に入っちゃったんだから、今更何も言いようがないよ……」

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