隠された「順天堂」新生児取り違え 父母は“生まれるはずのない血液型”めぐり離婚

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施設分娩の増加で…

 少々古いものだが、1973年に東北大学医学部法医学教室教授だった赤石英氏が書いた「赤ちゃん取り違い事件について」という論文に、事件が多発した経緯が記されている。

 それによれば、赤ちゃんの取り違えは、57年から71年までに発覚したものだけで全国で32件におよび、それらは現実に起きた事故の、氷山の一角にすぎないという。

 戦後間もなくまで、日本におけるお産は自宅や実家で助産婦を呼んで行われるのが一般的で、 病院や診療所での出産、 すなわち施設分娩は、47年には2・4%にすぎなかった。それが60年に50%、70年には96%に達し、同時に取り違えも急増したそうだ。

 さすがに事態は重く見られ、新生児管理改善促進連合が73年8月、赤ちゃんのへその緒を切る前に、安全で正確簡便な標識をつけることを強調した「新生児標識法」が決められ、全国に実施が求められた――。論文には、そんなふうに書かれている。

 要は、いま40代後半から60歳すぎくらいまでの世代には、他人と取り違えられたまま気づかずに暮らしている人も、少なからずいる可能性が示唆されているのである。信頼できる大病院で生まれた自分は大丈夫だ、と胸を張る人もいるだろう。しかし、まぎれもない大病院である順天堂医院、正確には順天堂大学医学部附属順天堂医院の関係者は、こうささやく。

「実はいまから半世紀ほど前、順天堂医院でも赤ちゃんの取り違え事故が起きていて、病院側はその事実を隠しているんです」

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