23年を経て「尊師」から「麻原」へ “側近”たちの罪と罰
「尊師」から「麻原」へ
逮捕後の彼の公判は、その呪縛との戦いだった。法廷では罪について詳細に語ることもあれば、途端に沈黙することも。怒りや苛立ちを見せることもあれば、証言台に突っ伏し、涙を流すこともあった。当初、麻原のことを「尊師」と呼んでいたものの、途中からは「麻原氏」。2011年、死刑が確定した。
その後の中川の状況を知るのが、米コロラド州立大学のアンソニー・トゥー名誉教授。毒性学の世界的権威の同氏は、2011年以来、中川と面会を重ねること14回。手紙のやり取りも数多くある。
「化学の内容をよくやり取りします。一昨年には、化学雑誌に、サリン事件の回想の手記を投稿しましたし、昨年は、金正男がVXで殺された件について、彼なりの見解をレターにして送ってきました。また、獄中で俳句もやっていて、同人誌にも投稿しています」
その作品が、
〈独房のほそき隙間の月は友ぞ〉〈獄の虫コンクリートに棲みて鳴く〉
現況への、痛切な思いをかき立てる句が多いそうだ。
トゥー教授は、移送前日の3月13日、中川に面会している。
「笑顔で出迎えてくれました。“移送は近日中にある”などと言っていましたね。それに備えて、いつ移されても良いように、倉庫にあった書類を自分の部屋に置いていたそうです。印象的だったのは、坂本弁護士事件について話した時に“麻原ははじめから殺すつもりだったのだろう”と言っていたこと。聞き間違えかもしれませんが、いつもは『麻原氏』と言っていたので驚きました」
23年の月日が経ち、ようやくかつての「尊師」を呼び捨てに――。中川は従容として死刑台に臨む覚悟が出来ているのかもしれない。
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