麻原彰晃、暴走の原点は幼少期 権力維持で求めた“仮想敵”
「車両省大臣」が語る
「彼の暴走の原点は、幼少期にあると思います」
と言うのは、『麻原彰晃の誕生』の著書がある、作家の高山文彦氏である。
「麻原は全盲ではないのに、6歳の頃、口減らしのため無理やり盲学校に入れられている。彼はこれを“親に捨てられた”と思い込んでいた。また、盲学校では児童会長や生徒会長の選挙に出ましたが、ことごとく落選してしまった。こうした挫折感を初めて満たされたのが、ヨガ教室の頃。信者が自分を次々と慕ってくるのが、嬉しくてたまらなかったのでしょう」
しかし一方で、自らの行いが、広く社会に受け入れられるとも思ってはいなかったはずだ。
「そこで信者を自分に引き付けておくには絶え間ない受難が必要と考えた。仮想敵が必要になるのです。自らの権威、権力の維持のために、信者に仮想敵を突き付け、危機感を煽り、屋上屋を架すように嘘を積み重ねていった。そのうち自分の中でも嘘と現実の境目が付かなくなってしまったのではないでしょうか」(同)
この様子を内側から見つめていたのが、元オウム真理教の「車両省大臣」であった、野田成人氏である。
「確かに、総選挙で敗れた際、“票の入れ替えがあった”と主張し出して以後、オウムには仮想敵と言える存在が常にありました。そして、教団が暴走し出して以後、麻原自身、国家権力によってオウムが潰されると本気で思い込んでいたと分かる“焦り”が見られました」
そして言うのだ。
「それが原因でオウムは潰れたのですから、本末転倒と言えますが……」
95年の逮捕以後の軌跡もこれをなぞるかのようだ。
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