「羽生結弦」国民栄誉賞に咬みついた「村田諒太」 政治ショーを批判
最近、国民栄誉賞の“安売り”が目立つとはいえ、オリンピック2大会連続金メダルの羽生結弦選手の活躍が受賞に相応しいものであることは疑いない。だが、賞の目的にある「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった」選手は羽生選手だけだったのだろうか。咬みついたのはプロボクシングの村田諒太(32)だ。
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村田が東京新聞に登場したのは、2月26日のこと。オリンピックの閉会式の翌日に「平昌異聞帳」と題したコラムで〈縁と運は挑む者のみに〉という話を寄せたのである。ご存じのように村田もロンドン五輪の金メダリスト。その経験を踏まえてのコラムだ。
〈平昌五輪の総括といたしましては、スピードとフィギュアのスケート勢が全てを持っていってしまった感じですね(笑い)〉
と軽い話題から始まり、メダルを獲ることの難しさ、そして「縁」と「運」にも左右されると続ける。
〈縁と運は意図して引き寄せることはできませんが、挑戦して初めて得られるものです。かといって、成績を約束してくれる保証はもちろんありません。それでも挑戦する姿に、自分たちの人生を重ねることで、五輪の感動は生まれるのだと思います〉
〈そしてフィギュアスケート。日本勢の金メダルがまだ出ていなかった中、この大会は羽生結弦選手のためにあったのかというような幕切れでした〉
折しも、政府部内では羽生選手とスピードスケートで金を獲った小平奈緒選手に国民栄誉賞を贈る案が検討されていると報じられている最中だった(後に羽生選手1人の受賞が決定)。ところが村田はそのニュースを取り上げて、国民栄誉賞のあり方を批判したのである。
〈世間では国民栄誉賞うんぬんと言われているようです。レスリング女子4連覇の伊調馨選手を除くリオデジャネイロ五輪で出た多くの金メダリストには与えず、目立つ結果となった今回の2人に検討するのは、五輪の価値とは競技レベル(競技人口、普及率等)ではなく、企業や政治的に広告としての価値があるかどうかなのかと考えさせられる、いらないオマケのついた平昌五輪でした〉
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