37年前の「エリザベス女王」暗殺未遂が発覚 NZ訪問中

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 1981年10月14日午後、ニュージーランド(NZ)を訪問中のエリザベス女王は、学園都市ダニーディンの名所・オタゴ博物館前でロールスロイスから降りた。

 するとその瞬間、パーンと周囲に乾いた音が響く。

「何の音かしら」とご下問の女王に警官は「花火でございます」と冷静に答えた。

 が、それは22口径ライフルの発射音だった――。

「ところがNZ当局はこの事件をずっと隠蔽。しかし最近、NZのニュースサイト〈stuff(スタッフ)〉が保安情報局(SIS)の公開文書をもとに暗殺未遂の事実をスクープしたのです」(外信部デスク)

 そもそもエリザベス女王はNZ王国の国王でもある。警備に不信を持たれては女王に来訪して貰えなくなると当局は非常に危惧、事件隠しを図ったのだった。

 もっとも捜査もお粗末で、当初は狙撃位置も分からなかった。stuff記事によれば、事件8日後に別件の強盗事件の捜査から地元高校中退のクリストファー・ルイス(当時17)が浮上。自供後に狙撃現場を案内させると、博物館から数百メートル離れたビルの5階トイレに薬莢が転がっていた。

 狙撃距離などから現実的には暗殺不能でもあったため、ルイスは銃の不法所持等だけで裁かれて懲役3年。しかしご本人は、“反逆罪じゃないの?”と不満だった。

 この恐るべき17歳は、

「英国人で20代に見える“雪だるま(スノーマン)”という男に命令された」「俺は国家帝国(ナショナルインペリアル)ゲリラ軍(アーミー)のリーダーだ」

 などとも供述。警察は“夢の中の住人”と見た。

 実際、ルイスは20代のほとんどを刑務所や精神病院で過ごすことになる。

 そして95年。女王のNZ訪問が再びあったが、当局もよほどこの男に懲りたか、女王訪問中、予防拘禁の代わりに隣国豪州はグレートバリアリーフの保養施設へご招待し、釣りをさせていた。

 さらに2年後、今度は誘拐事件で逮捕されていたが刑務所で自殺。享年33。

 数奇なテロリスト人生もまた隠蔽されていた……。

週刊新潮 2018年3月15日号掲載

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