『新聞社崩壊』の著者が予測「今後10年で倒産が懸念される」10紙の実名

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3500万人しか新聞を読んでいない現実

「日本人の新聞離れ」が止まらない。そのため今後10年、新聞社が倒産に追い込まれる可能性が、どんどん高まっているという。

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 まずデータを見てみよう。日本新聞協会の公式サイトに2017年の新聞発行部数と、1世帯当たりの部数データが公表されている。それによると、17年は合計で約4200万部、1世帯当たり部数は0.75部という結果だった。ちなみに00年は合計で約5300万部、1世帯あたり1.13部を購読していた。

 小渕恵三内閣(98〜00年)から安倍晋三内閣(12年〜現在)までの間に約1000万部が消えてなくなり、「どこの家でも新聞を最低1紙は購読している」光景が崩壊した。やはり部数減のインパクトは相当なものだ。

 しかも、これでも“水増し”された数字だという。新聞社から販売店に押し付けられたが売れ残り、“死蔵在庫”と化したものも、協会の発行部数には加えられている。「押し紙」という言葉を目にしたことがある人も少なくないだろう。

 朝日新聞社で販売管理部長を務めた畑尾一知氏は、著書『新聞社崩壊』(新潮新書)で、より正確な数字を推定している。NHK放送文化研究所による「国民生活時間調査」の新聞読者率を応用し、2005年と15年の読者数推定と、2025年の読者数予測を行ったのだ。漢数字を洋数字にするなどの変更の上、引用させていただく。

《2005年の読者率は国民全体の44パーセントとなっている。2005年の人口(10歳未満は除く、以下同)は1億1500万人なので、新聞を読んでいる人は、1億1500万人×44パーセント=約5000万人という計算になる。同様に2015年の調査では、新聞を読んでいる人は33パーセント、3700万人になった》

新聞社が倒産する可能性

 これに2025年の予測を加え、先に見た新聞協会の発表と比較する表を作ってみた。

 05年では両者にそれほどの差がなかったにもかかわらず、15年になると相当な乖離を示したのが興味深い。

 我々の素朴な実感からすると、やはり新聞協会の数字は多すぎる。10世帯のうち8世帯が新聞を読んでいるというイメージは存在しない。畑尾氏の推定する「10世帯のうち6世帯から5世帯になりつつある」というほうが違和感を覚えない。

 05年頃から、今では当たり前のように使われているインターネットサービスが登場してきた。例えばYouTubeの設立は05年。Twitterは06年で、日本語版は08年にスタート。09年度にはAmazonが通販業者の売上高で国内1位となった。本格的な新聞の部数減がスタートした時期と重なるのが暗示的だ。

 話を元に戻せば、05年から25年までの20年間で、新聞は半減してしまうわけだ。畑尾氏は著書の中で、これでも「見通しとして甘いかもしれない」と書き添えている。こうなると「新聞社崩壊」は既定路線だとしか言いようがない。

全国紙でも「勝ち組」「負け組」の明暗

 そこで、以下の表をご覧頂きたい。畑尾氏が全国紙、ブロック紙、地方紙の経営状態を独自の3ポイントで評点を算出し、ワースト順に並べたものだ。

 全国紙に限れば、産経、毎日の経営状態は厳しく、朝日、読売、日経にはまだまだ余力が残っていることが分かる。改めて筆者の畑尾氏に訊いた。

「経営状態を推測する指標は、3つに絞りました。『社員当たりの売上』からは会社がどれだけ効率よく運営されているかが分かります。自己資本比率は、文字通り会社の体力を示します。簡単に言えば、金庫にどれだけお金があるかです。『JR/ABC比』は分かりにくいと思いますが、その新聞社が自社の販売エリアで、どれだけ新聞を売り切っているかを示す指標として私が考案しました」

 もちろん表で順位が上だと倒産の可能性は高くなり、下なら可能性は低くなる。だが従来型の悪しきビジネスモデルにあぐらをかき続ければ、新聞業界全体が消滅してもおかしくない。畑尾氏が続ける。

「今後10年間で注目すべきは、新聞の値上げが行われるかどうかです。朝日、読売、毎日、日経は、都内なら朝夕刊セットで1カ月4000円を超えていますが、これは高すぎます。夕刊を廃止し、紙面もタブロイド型に小さくした上で、適正価格は1カ月2000円ぐらいでしょう。新聞記者の給与は基本的には高額だと、今では誰もが知るようになりました。新聞社もコストカットを行わなければ、読者の信頼を失います。それを無視して値上げに踏み切れば、『自分たちの好待遇を維持するための値上げだ』と批判されるに違いありません。さらに読者離れが加速することが懸念されます」

新聞社が亡んでも、新聞は生き残る可能性

 一方で畑尾氏は「もし新聞業界が身の丈に合った経営方針に改めれば、しぶとく生き残ることが可能です」とも訴える。

「私は今年、63歳になります。今のままでは、私が死ぬより新聞社が崩壊するのが早いのではないかという危機感を持っています。しかし新聞社が読者を最優先に考え、高コスト化した会社をスリム化していけば、良質の読者に支えられ、細々とではあっても存続できると信じます」

 この『新聞社崩壊』は売れ行きが好調だという。畑尾氏は「嬉しい誤算でもあり、それだけ新聞社に厳しい目が注がれている証拠とも言えます」と受け止める。

「私は新聞が大好きです。宅配された新聞を死ぬまで読みたいのです。私は新聞をビタミンだと考えています。生存には炭水化物やタンパク質が最優先でしょうが、しっかりとした頭脳や身体を作るにはビタミンが欠かせません。ネットで無料のニュースだけだと、どうしても偏ります。正確な新聞報道を読者に届け続けるためにも、新聞人は自分たちがどう見られているか把握し、姿勢を正すべきです」

 畑尾氏は新書の末尾「おわりに」で、

《新聞ビジネスそのものが破綻しているのではない。新聞業は、やりようによっては十分に収益性が見込める事業だと思う。つまり、新聞社は亡んでも新聞は生き残り得る》

と喝破している。単に新聞業界に限らず、様々な業界にも当てはまる指摘だろう。

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週刊新潮WEB取材班

2018年3月16日掲載

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