高梨沙羅、“特別扱い”で日体大卒業 批判噴出
〈行春(ゆくはる)や 鳥啼魚(なきうお)の 目は泪(なみだ)〉――元禄2年3月27日、俳人・松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で、江戸を出立する際に詠んだ句である。別れの季節に身を置けば、誰しも目が潤むもの。今春、日本体育大学(日体大)を卒業する高梨沙羅(21)の場合はどうかといえば……。
平昌五輪のノルディックスキー・ジャンプ女子で、高梨は銅メダルを獲得した。4位だった前回ソチ五輪の雪辱を果たしたとされるが、3月1日付「日刊スポーツ」では、高梨が独占手記という形で〈4年後北京で今度こそ「金」〉という決意を綴った。この4年間を振り返り、支えてくれたチームメイトや家族、応援してくれた人々への感謝の念も述べてはいる。だが、もうすぐ旅立つことになる“母校”での日々や、“恩師”への言葉は見当たらない。
「それはそうでしょう。入学しても、彼女は大学にほとんど姿を見せず、海外に軸足を移し練習漬けの日々を送っていましたからね」
とは、ある日体大関係者だ。これまで五輪アスリートの高梨には特別なカリキュラムが用意されており、
「大学の教室に出向かなくても、授業を録画した映像を見てレポートを出せば単位が貰えるような形がとられていました。たとえば、日体大OGで平昌メダリストのスピードスケーター高木美帆や、現在3年生の体操日本代表の白井健三も、いちおう授業は受けていますから。事情を知る教員などから、“特別扱いにもほどがある”とか、“他学生に示しがつかない”などの批判が噴出しているのです」(同)
そもそも、以前本誌(「週刊新潮」)が報じたとおり、高梨は高校2年の修了時に“飛び級”で体育学部体育学科に入学した。学費支援に加え、父・寛也氏は大学コーチに抜擢されて給料を受け取るなど、三顧の礼で迎えられている。
そんな特待生でありながら、確かにこの4年間は世代交代の憂き目に遭い、海外の強豪ライバルに脅かされスランプが目立った。
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