新経済政策NEPで市場経済を容認

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 1921年に、ウラジーミル・レーニンの指導とニコライ・ブハーリン(1888年~1938年)の理論指導により、部分的に市場経済を容認した経済政策、NEP(ネップ)が採用された。

 これにより食糧現物税が導入され、農民は収穫の一定割合(1922年からは一律10%)を国に納めるが、残りを自由市場で販売することが認められた。納税後の余剰穀物の処分について、当初は組織的商品交換が試みられたが、それが失敗した後は、農民の自由にゆだねられた。

 さらに貨幣が再び使われるようになった。その結果、1924年には現物税が貨幣納入に置き換えられた。

 こうして、都市と農村の間に商品経済的な結び付きが作られ、農民の物質的関心が強まった。 工場と農村の結合は「スムイチカ」と呼ばれた。

 農業がこのように変わったので、国営産業も、市場を見込んで生産し、利益を上げざるをえなくなる。そのため、商業計算制を導入した。

 小企業に私的営業の自由が与えられた。小売業やサービス業も同じ道を辿り、ほどなく非国有化された。労働者の雇用、商取引が認められた(ただし、この間にも大工業、銀行、運輸、外国貿易、土地など、「管制高地」と呼ばれた重要経済領域は、国家の掌中に握られていた)。

 こうしてソ連は、1924年初めまでには、新しい形の混合経済体制になっていた。この改革によって、経済は息を吹き返した。工業生産力は、第1次世界大戦以前の水準にまで回復した。1925~1926年には、工業生産中の私的セクターの比重が、27.1%に達した。

 ボリシェビキ政権が新経済政策に転換したことは、資本主義国との関係の転換をももたらした。レーニンも資本主義国との貿易関係の再開を望み、1921年に英ソ経済協力協定が結ばれ、イギリスとの貿易が始まった。1922年には、第1次世界大戦後の復興について協議するジェノヴァ会議に招請され、その場でドイツ共和国とのラパロ条約を締結して国交を樹立した。外国資本の導入も行われた。

ソ連は3年間の繁栄を享受した

 1922年には、農産物の枯渇と工業製品の供給過剰によって、新たな問題が発生した。1923年には、それが逆転して、「鋏状価格差恐慌」(農産物価格と農業用工業製品価格との格差の拡大:シェーレ)と言われた事態が発生した。農民は作物を作りすぎ、工場は生産を抑えた結果、農産物の価格が下落し、工業製品の価格が上昇したのだ。この年、農民は利益が減って、都市部への出荷意欲をなくした。

 だが、1924年には、工業製品の価格を下げ、農産物の価格を上げて、この危機を収束させ、経済事情を安定させた。また、貨幣改革も成功したので、経済は全体として順調に復興した。1924年には、1913年以来初めての、本当の繁栄が実現した。

 1926年までの3年間、経済は正常な状態に保たれた。この時期は、「ネップ最盛期」と言われた。ネップの賛美者によれば、この期間は、マルクス主義思想の黄金時代だ。

 しかし、ネップは同時に、新たな資本家である「ネップマン」や、富農「クラーク」を産み出し、貧富の差の拡大という問題を引き起こした。

 ネップのスローガンは「一歩後退、二歩前進」だが、これはボリシェビキの重大な方針転換である。常識的には当たり前のものだが、理論的観点から見れば、苦しい決定だ。

 ネップは、レフ・トロツキーが言っていたように、社会主義者の夢の裏切りなのか? ネップマンとクラークへの条件付き降伏なのか?

 あるいは、真の社会主義に前進する前に、息継ぎ期間を与えるための一時的後退なのか?

 あるいは、ブハーリンが言っていたように、社会主義への漸次的、発展的成長だったのか?

 当時の共産党内で、熱い議論があった。今でも歴史学者の間で、この論争は続いている。

「こうしてネップは、ソヴィエト体制、ひいては社会主義を考えるときの試金石になった」と、マーティン・メイリアは『ソヴィエトの悲劇』(草思社)の中で総括している。

野口悠紀雄
1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現在、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問、一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論。1992年に『バブルの経済学』(日本経済新聞社)で吉野作造賞。ミリオンセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)ほか『戦後日本経済史』(新潮社)、『数字は武器になる』(同)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞社)など著書多数。公式ホームページ『野口悠紀雄Online』【http://www.noguchi.co.jp

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