「大杉漣」さんが生前、気にかけていた所属事務所「ZACCO」の今後
40過ぎて花が咲く
すでに語り尽くされてはいるが、大杉さんの役者人生は順風満帆ではなかった。明治大学を中退し、一般ウケしそうにない“無言劇”の劇団「転形劇場」に入ったのが1973年。劇団員を続けながらピンク映画「緊縛いけにえ」(80)で映画俳優デビューを果し、「連続暴姦」(83)で滝田洋二郎監督に、「変態家族 兄貴の嫁さん」(84)で周防正行監督に出会った。劇団が解散すると、Vシネマに活動の場を求め、「ソナチネ」(93)で北野武監督に出会った時にはすでに40歳を超えていた。
「たけしさんも語っていますが、大杉さんは『ソナチネ』のオーディションがダメだったら、役者を辞めて故郷の徳島に帰ろうと思っていたそうです。でも、『ソナチネ』以降、大杉さんはたけし映画に欠かせぬ存在となり、ヤクザから総理大臣まで、何でも演じられる役者として映画、テレビに欠かせぬ役者として引っ張りだこになっていきました。そして来た仕事は、まず断らない人でした」(芸能記者)
そんな大杉さんが、事務所「ZACCO(ザッコ)」を設立したのは2007年のことだった。
「ザッコは雑魚から来ているそうですよ。取るに足らないような奴でもたくましく生きたい、といった意味があるとか。大杉さん達3人の役者と3人のスタッフで始めた個人事務所で、元々は大杉さんが社長の有限会社でした。今は大杉さんの妻、弘美さんが社長の株式会社となっています。資本金は300万円。ホームページで確認すると、現在の所属俳優は15名、それに役者ではありませんが、大杉さんが亡くなられた時に冷静な対応をしていた息子でカメラマンの隼平さんも籍を置いているようです。正直言って、知名度のある役者は大杉さんだけ。劇団を中心にやってこられた方が多いようなので……大杉さんが稼ぎ頭というか、彼一人で稼いでいるような事務所でした。最近、ようやく古舘寬治さん(49)が売れてきて、大杉さんも喜んでいたところでした」(同)
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