田中角栄と神楽坂芸者の“純愛” 漏らしていた「真紀子が怖い」

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「真紀子が怖い」

 深井さんの母親は、神楽坂勤めの際は必ず、金満津で食事をした。そのため、母親と女将さん、和子さん、そして角栄の4人は非常に密な関係だったという。

「私も高校時代は、母に付き添って、月に2回ほど検番に行っていました。そこで見た角栄さんという人は、豪気に見えて、日々の生活は質素だった印象があります。湧き出るほどのお金で家や土地を買いながらも金満津では派手なことはしない。和子さんや母親からは、“繊細で淋しがり屋だ”と聞きました」

 そんな角栄でも、ある時、次のようなことを口にしていたという。

「和子さんから聞いたのですが、娘の真紀子さんについて、角栄さんが“とにかく存在自体が怖い”と言っていたそうです。真紀子さんのことが可愛くて仕方がなく、言いなりになるしかないようで、“真紀子が反対することは俺には出来ない”とこぼしていたとか」

 同じように、18歳の時に角栄と出会い、2男1女をもうけた和子さんには、妾として最大限の愛情を注いでいたという。

「神楽坂に350坪にも及ぶ豪邸を建ててあげていましたし、月の生活費は100万円だったそうです。お手伝いさんも最低2人雇っていました。そのことからも、とても大事に思っていたことが分かります」

 1993年に角栄が息を引き取り、その16年後に和子さんも亡くなった。“田中角栄伝説”にまた新たな1ページが加わったのである。

週刊新潮 2018年2月22日号掲載

ワイド特集「雪の華」

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