生誕65年「テレサ・テン」の遺品が台湾で“ゴミ扱い”されている
台湾で広告塔、中国では発禁
台湾では政府への協力を条件に不起訴処分となり、中華民国軍の広告塔として活動することに。
「ちょうどその頃 、中国でも彼女がカバーした『何日君再来』が大ヒット 。『昼は鄧小平の話を聞き、夜は鄧麗君の歌を聴く』とまで言われていたといいます。しかし、中国共産党は83年頃、台湾の広告塔である彼女の歌を『退廃的だ』と発禁処分にしてしまいます」
そんな彼女が再び来日するのが84年。「つぐない」で再デビューすると、有線放送チャートで年間1位となる大ヒットとなり、「愛人」(85年)、「時の流れに身をまかせ」(86年)と立て続けにヒットを飛ばす。
当時、改革開放路線を進める中国は、86年、テレサ・テンの歌をようやく解禁。87年 、彼女は日本を離れ、香港へ移る。そこで民主化コンサートなどに参加していた彼女だが、89年に天安門事件が起こる――。
「そうした政治活動が知られるようになったのは、95年に彼女が亡くなってからですね。台湾、中国では流行歌手としての人気はもちろんですが、中国共産党に批判的な中国人にとっては、自分たちの代弁者としての人気もあった。ですから余計に暗殺説など憶測を呼んだのです」
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