憲法改正は現実味を帯びても… 誰も知らない「自衛隊」南スーダンPKOの最前線
押し寄せる難民
南スーダンでは60を超える部族があり、11年7月にスーダンから分離独立した後は部族同士の内紛が続いていた。とりわけ最大部族であるディンカ族(政府軍)とヌエル族(反政府軍)が対立し、そこに他の少数民族も加わって混乱が拡大した。
16年4月には国民統一暫定政府が設立されたが、互いの部族に対する不信感は消えず治安は悪化。南スーダン政府は7月9日の独立記念日に向けて銃器の取締りや検問所を設けるなど警備を強化していたが、時折、日本隊の宿営地があるトンピン地区付近でも銃声が聞こえていたという。同月7日に検問所で諍いが生じ、翌日から銃撃戦になった。それが飛び火し、日本隊の宿営地近くでも銃撃戦が始まったのは10日だった。
「その後、反政府軍側の難民がどっと押し寄せてきました。UNMISSでも正確な数は把握しきれていないと思います。ここが安全だとわかったら人がどんどん集まりますし、頃合いを見て出ていく人もいましたから」(同)
彼らは政府軍による虐殺を恐れていた。日本隊では急遽、食事や給水支援、トイレやテントの設置、ベッドや毛布の貸与などを行った。だが難民といっても武装集団が紛れ込んでいるかもしれない。ジュバ空港の南西、UNMISS司令部がある国連ハウス地区に彼らを輸送するまで緊張は解けなかった。最終的に落ち着いたのは8月も終わりに近づいた頃だった。
[3/4ページ]