みのもんた「納骨する気になるまで6年かかった」―― 妻に先立たれた男は何を想うのか
「女房がいてくれたらな」
ここまで話せば分かると思うけど、うちの女房はとにかく真面目な性格で、やることが徹底している。
いま僕がひとりで住んでいる鎌倉の自宅にしても、設計段階から彼女が関わって10年越しで出来上がったんです。それこそ家具や調度品、絨毯に庭の芝生まですべて彼女が選んでいます。
それで、病状が悪化した頃になって、彼女が「あとひとつだけ、どうしても家に飾りたい絵があるの」と言い出した。インターネットで調べたらニューヨークの画廊でその絵が売られている、と。病院の先生にも相談して、2週間だけという約束で、娘と3人でニューヨークを訪れることになった。女房の車椅子を押しながらね。彼女のお目当てはチャールズ・バーチフィールドという画家の作品。綺麗な花園の中央から、雷というか、竜巻というか、1本の白い線がすぅっと空に向かって延びている。いま思うと、魂が天に昇っていくような絵なんです。残念なことに、女房は旅行中に体調を崩して、帰国から1週間後に逝ってしまった。その絵が船便で自宅に届いたのは彼女が亡くなってから2カ月くらい後でした。でも、彼女は飾る場所まで決めていたからね。その絵がよく見えるサイドボードの上に女房の写真を置いて、照明を設置して24時間照らしています。
「あぁ、女房がいてくれたらな」と思ったこともありますよ。彼女が亡くなってからしばらくして、次男が窃盗未遂の容疑で逮捕されたでしょう。あの時は、本当にどう対処すればいいか分からなかった。僕が何をしたかといえば、世間を騒がせたことは間違いないんだから、次男に辞表を書くように言った。そして、僕自身も番組を降りた。読売テレビの社長が引き留めてくれた「秘密のケンミンSHOW」以外は全てやめました。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの言葉通り、きちんと対応しないと周囲はもちろん、自分も納得できないと感じたんだ。中途半端はダメだ、と。そして、次男の「やっていない」という言葉を信じて、事件の判決が出るまでは一切取材に応じないことにした。ただ、ある週刊誌の取材が来た時に、結果が出たらコメントしますと伝えたところ、それなら来週以降も事件を報じ続けると言われた。まぁ、僕が答えないから向こうも意地になったんでしょうね。もし女房が生きていたら「パパ、とにかく取材には答えなさいよ」と言ったかもしれない。そうすれば騒動がもっと早く鎮火したんじゃないか。女房という最大の相談相手がいないことのつらさを痛感しました。ちなみに、次男はいま、僕の水道メーターの会社で働いています。最初は和歌山の工場で修業させて、いまは東京本社に戻ってきた。まだまだこれから苦労するだろうけど、そこは妻の分まで黙って見守ってやりたい。
周囲からは言われますよ、再婚したらどうかって。でも、一向にそういう気にはなれないんだ。そりゃ、銀座で飲んでいて、クラブのおネエちゃんから「鎌倉まで遊びに行ってもいい?」と聞かれたら、「いいよ、みんなでおいで。そのかわり混浴するのが条件だ!」なんてバカバカしい冗談を言うことはありますよ。ただ、実際に誰かと交際したいとか、再婚したいという気持ちはハッキリ言って全くない。僕は女房に恵まれて、素晴らしい経験をさせてもらったと思ってるから、別の女性と比べたくもないんです。いまになって改めて、いい女房だったなと、本当に真摯にそう思うんだ。
天命を全うする
ちょうど自宅のベッドルームから江の島の灯台が見えるんだよ。その灯りが何秒かに1度、回ってくるでしょう。とても不思議なんだけど、ひとりでベッドに横たわっていると、女房と一緒に同じ灯りを見た時の光景が頭に浮かんでくる。本当は思い出という言葉も軽々しく使いたくないんだけどね。七回忌で納骨はしても、女房と一緒だった頃の記憶だけは決して風化させたくないと思っています。
もし、奥さんに先立たれた男性に声を掛けるとしたら――。
うーん、そうだね。僕は、自殺という選択だけはいけないと思っている。人間には天命があるんです。それが60歳なのか100歳なのかは別にして、やはり天命を全うすることを考えるべきだと思う。
女房に先立たれると、ふとした瞬間に寂しさというか、空虚な感覚に襲われることがあるんです。酒を飲んでいても、美味しい料理を食べていても、知人と騒いでいても、そういう気持ちが一気に込み上げてくる。そこで自分の存在を見失ってしまうんだと思う。実際、僕自身がそうだった。これまで賑やかに過ごすことが好きだったから、妻に先立たれて1人になった時に「結局、僕の存在って何なんだろうな。女房がいないと、どこにも身の置き場がねぇな。これでおしまいなのかな。もう全部の番組を降りてもいいんじゃないかな」と、そこまで思い詰めた。
自殺というのは、そう簡単な話じゃないし、実行に移すにはかなりのエネルギーが必要だと思う。でも、それを凌駕するくらいの虚しさがふつふつと湧いてくるわけです。そういう人には自分の存在をもう一度、見つめ直してほしい。もし辛ければ、誰にも会わなくていいし、面倒臭かったら飯を抜いてもいいよ。とにかく生きてさえいればいいんだ。たとえ虚しさに襲われても乗り越えないといけない。その上で、「僕みたいなくだらない人間でも、世のため人のため、残りの人生でひとつぐらい良いことをやりたい」と考えるようになってほしい。
僕の場合はね、自分の天命があるとして、それは幾つなんだろうかと考えた時に92歳で亡くなった親父の姿が頭に浮かんだんです。晩年まで銀座のクラブで飲み歩くような親父でね。帰り際に、車の窓を開けてママと握手をしても、「ありがとう、ありがとう」と言って一向に手を離さない。「親父! もう車が動き始めたから!」と言っても聞かないんだ。入院中も看護婦の手を握って離さなかったな。それで、看護婦が部屋を出ようとすると、今度は厳かに手を振り続ける。だから、病院では「陛下」と呼ばれていた。天皇陛下のお手振りみたいなことをやってたからね。うちの親父もおふくろに先立たれたものの、最期を迎えるまでそんな調子だった。僕もそんな親父の血を引いてるんだと思いますよ。やっぱり、天命を迎えるまでに色んな経験をして、考えたり、悲しんだり、楽しんだりしたい。そういう生き方を貫くつもりです。
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