「バブル時代がよかったなんて幻想だ」 古谷経衡が斬る「バブル賛歌」
注目される「バブル」
平野ノラの活躍、あるいは荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」のリバイバルヒットのおかげもあって、昨年は「バブル」という時代にいつも以上に注目が集まった年だった。「バブル時代」という言葉の受け止め方は、世代によって大きく異なる。当時を知る人は「バブルの頃は、もっと豊かさを実感できた」と語るかもしれない。
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バブルを知らない世代は、そうした話を聞きながらある時は羨ましがり、またある時は不快感を味わう。現在は50代のおじさん、おばさんとなったバブル入社組が、自分たちの栄光の時代と現在とを比較して、そこから若者批判をすることも珍しくないからだ。あの頃と比べて今の若者は「不幸だ」「覇気がない」「消極的だ」「内向きだ」等々。しかし、実際のところ本当にあの頃はそんなに良い時代だったのだろうか。
著述家の古谷経衡氏は、新著『日本を蝕む「極論」の正体』で、中高年の口にする「バブル賛歌」は単なる極論に過ぎない、と斬って捨てている。
たしかにあの頃は今と比べて株価は高かっただろう。経済成長率も高かった。しかし、他のデータを見てみたらどうか。以下、同書をもとに「バブル賛歌」の怪しさを見てみよう(引用は同書より)。
たとえば豊かさの指標としてよく用いられるお馴染みの「エンゲル係数」(家計における飲食費の割合)。1986年の日本家庭におけるエンゲル係数は25.8%。エンゲル係数の一般的な解釈では「普通」にあたる。では2017年のそれはどうかといえば、やはり25.8%。
バブル時代とまったく同じなのだ。
劣悪な住環境
もっとも、エンゲル係数は生活の豊かさを見る指標としては、ちょっと古いという見方がある。食生活が多様になっているから、単純な比較が難しいのだ。
そこで古谷氏は続いて住宅関連の数値に着目した。住宅の平均床面積と借家の平均床面積だ。高度成長期の日本の公営住宅は庶民にとっては「羨望の的」であった。しかし、その実態はといえば40平方メートルに満たない2DKである。ここに場合によっては3世代が住んでいた。
「日本が西ドイツを追い抜き、世界第2位の経済大国になった1968年、日本のすべての住宅の平均床面積は73.8平方メートルに過ぎなかった。とりわけ借家については、公営住宅のそれでわずか37.7平方メートル。現在、一般的なワンルームの広さが25平方メートル程度。37平方メートルといえば、大人2人でようやく最低限、という感じである。『家具の谷間に暮らす』――これが、高度成長の裏側にあった平均的な日本人の貧弱な住環境であった」
もちろん経済成長とともに住環境は改善されていく。
「バブル経済真っ只中の1988年、日本のすべての住宅の平均面積は89.3平方メートルにまで拡大し、公営借家については47平方メートルにまで拡充した」
しかし、ここには大きな落とし穴があった。
「確かに、高度成長期に比べれば、バブル期の住宅のクオリティは向上した。しかし、問題はそれらの住宅を日本人が容易に手にできるかどうかにかかっている」
年収の何倍を費やせば住宅が手に入るかを示す「年収倍率」を見てみると、バブル期の異常さがよくわかる。「年収の5倍」程度が無理のないところだというのがコンセンサスだ。しかし1990年、東京におけるマンション購入のそれは何と「18.12倍」だ。
「多くの日本人は地価高騰に苦しみ、不動産会社の宣伝広告を呆然と見つめるだけで、実際の住宅購入など夢のまた夢であった。
ちなみに現在、バブル崩壊後、住宅価格は暴落(正常化)し、日本人の住宅の平均床面積は94.4平方メートルまで拡大し、イギリス、ドイツなど西欧先進国と肩を並べる水準となっている。公営借家の平均面積は52平方メートルまで拡大した。
年収倍率は新築マンションの場合全国平均で6.59倍(2013年)、築10年の中古マンションの場合で同4.58倍と、おおむね理想値まで落ち着いた」
今のほうが良いこと
バブル時代には高級車を乗り回す人が多かったようなイメージもある。対して、最近では「若者のクルマ離れ」が嘆かれる。しかし、これも勘違いだと古谷氏は言う。
「バブル真っ只中の1989年。乗用自動車の世帯普及率は70パーセントに過ぎなかった。つまり100世帯に対し70世帯しか自家用車を保有していなかった。それが2016年、同普及率は100パーセントを超えて106%になっている。
バブル時代=車のイメージは確かに強いが、それは一部の富裕層やその子弟が高級車を求める傾向が目立ったにすぎず、自家用車の保有を平均すれば、現在の3分の2世帯しかマイカーを保有できなかったことになる」
もう1つ、あの頃よりも増えたものとしては、海外渡航者数が挙げられる。バブル時代と比べれば、現在の海外渡航者数は倍以上に増えている。もちろんこれは格安旅行が増えた影響が大きいが、それによって外国旅行を楽しめる人は、あの頃よりもはるかに大きい。
冷静に見ればバブル時代のほうが良かったことも多くある。しかし、その逆もある。にもかかわらず、なぜおじさんは「バブル」を懐かしむのか。過度に讃えるのか。古谷氏は、当時「外部から監視や点検がなく、競争のない閉鎖的な空間」に安穏として身を置いていた人が、「バブルはよかった論」の発生源ではないか、と指摘する。代表的なのは護送船団方式に守られていた銀行、ネット誕生前夜のマスコミに代表されるコンテンツ産業だという。
バブルに限らず、人は往々にして自身が若かった頃の時代を美化しがちだ。現在60代の人たちが不思議と「三丁目の夕日」の時代を懐かしむのも、そうした傾向のあらわれだろう。実際の昭和30年代は決して漫画やドラマほど呑気で愉快な時代ではない。
共有できる者同士の娯楽である分には、ノスタルジーは悪いものではないだろう。しかしそれが若者への安易な攻撃道具になるとすれば罪深い。バブルを戯画化し、客観しさせる材料を提供しているという意味で、意外と平野ノラの功績は大きいのかもしれない。