【追悼】西部邁氏 舌鋒鋭く“ポピュリズム批判”を行った名コラムを再掲載

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勇気ある大衆批判

 1月21日、評論家の西部邁氏が亡くなった。享年78。多摩川に飛び込み、搬送先の病院で死亡。現場には遺書が残されていたといい、警視庁田園調布署は自殺とみて調べている。

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 衝撃は相当に長い間、続くに違いない。早くも田原総一郎(83)、舛添要一(69)、小林よしのり(64)、富岡幸一郎(60)、宮台真司(58)、東浩紀(46)、古谷経衡(35)といった各氏が死を悼んでいる。

 多様な顔ぶれにも驚かされるが、例えばメディアを見れば、産経新聞と沖縄タイムスが記事で追悼の意を示した。これだけ広い裾野を持つ思想家は、稀有と評していいはずだ。

 西部氏は1939年、北海道の長万部町に生まれた。1浪の後に東京大学へ入学。新左翼党派「共産主義者同盟(ブント)」に加わり、60年安保闘争に参加する。

 しかし翌61年、左翼運動と袂を分かつ。東大経済学部から同大大学院に進学。横浜国立大学経済学部助教授、東京大学教養学部助教授などを歴任。ケンブリッジ大学などへの留学を経て、83年『経済倫理学序説』(中央公論社)で吉野作造賞、84年『生まじめな戯れ』(筑摩書房)によりサントリー学芸賞を受賞する。

 高度大衆社会とアメリカニズムを強く批判したことにより、学壇だけでなくマスメディアの世界でも注目を集める。

 88年に中沢新一氏(67)を東大教養学部助教授に推薦するも、教授会で否決される。これに抗議して東大を辞任。鈴鹿国際大学客員教授、秀明大学教授・学頭などを務めたが、一般的にはテレビ討論番組「朝まで生テレビ」(テレビ朝日系列)の出演で知名度を高めた。

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