カトリーヌ・ドヌーブ曰く「女の権利が女を弱くする」 #MeToo運動にひとくさり
女性にとって幸せか
それだけではない。ドヌーブの主戦場たるアートの世界でも余波は起きていて、
「パリでは、過去に少女との性的関係や虐待の容疑があるロマン・ポランスキー監督らの回顧上映の中止を求める運動や、NYメトロポリタン美術館では、バルテュスのスカートの裾が開(はだ)けた少女を描いた作品の撤去を求める署名が1万人分集まりました」(同)
もはや性暴力の告発とはかけ離れた運動の末路に、ドヌーブは呆れて呟く。
〈この熱狂状態は、女性が自立していくことを手助けするには程遠い〉
先の鈴木氏によれば、
「これだけ運動が広がると、男性はセクハラのリスクを恐れて口説くことをますます躊躇します。そうなると、女性の側も“口説かれる自由”を失い、自らの選択の機会が奪われてしまう。結局、自分の首を更に絞めることになり、女性にとって幸せなことかは甚だ疑問です」
フランス映画に詳しい映画評論家の北川れい子氏はこんな意見だ。
「代表作『昼顔』で、ドヌーブは良妻ながら欲望に生きる娼婦という、二面性を持つ役を演じました。誰に命じられるわけでもなく、自らの意志で行動するという女の演技が見事でした。そんな彼女は、私生活でも不倫を経験し、未婚の母として堕胎した過去も公にしていますが、相手への怨みを言い募る真似はしなかった。『昼顔』の主人公のように、男女の関係は対等であり最終的な結果は自ら責任を持つ、という信念で生きてきた女性なのです」
権利を掲げ正義を論(あげつら)う人々が、エスプリの効いた忠言に気づく日は来るのか。
[3/3ページ]