「笑いと差別」「笑いとタブー」をどう考えるか 障害者芸人ホーキング青山はこう考える(2)

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エディ・マーフィーの物まねはタブーか

 ダウンタウンの浜ちゃんが大晦日の特番でエディ・マーフィーを模したメイクをしたことが物議を醸している。批判する側の論理は簡単に言えば次のようなものだ。

「黒人の真似をするために顔を黒く塗ることは、欧米では差別だというのが常識。もはやタブーで、いくら日本であっても、もう許されない」

 こうした主張は新しいものではない。ラッツ&スターが顔を黒く塗らなくなったのも、この種の批判を考慮してのことである。

 もっとも、今回の件については浜ちゃんを擁護する意見も根強い。

「黒人一般を模したのならば、差別だという理屈も成り立つかもしれないけれど、エディ・マーフィーという大スターの物まねをするにあたって、メイクで似せるのは当然じゃないか。それを差別だという方が、心に差別心があるんじゃないのか」

 これが擁護派の主な論理だろう。

 さらに、「そもそも欧米の人だって日本人を結構バカにしていない?」という疑問を抱く人も少なくない。たとえば映画「チャーリーズ・エンジェル」では、登場人物がデブの肉襦袢(着ぐるみ)を着て相撲取りに扮するシーンが出てくる。そこには日本の「神事」としての相撲へのリスペクトはまったく感じられない。比較的最近の映画でもこの調子なので、時代を遡れば、日本人をバカにしたような表現はいくらでもある。「ティファニーで朝食を」に出てくる出っ歯の日本人を見て悲しい気持ちになった人は少なくないだろう。

たけしさんと松村さんの話

 身体障害者という「差別」の対象になりやすい立場で、20年以上芸人として活動をしてきたホーキング青山さんは、この件をどう見るか。話を聞いてみた。

「私も含めて、社会的弱者となる人や差別の対象になってきた人の地位向上のために、これまでいろいろな人が闘って、権利を得てきたのは事実だから、そういう歴史を否定するつもりはありません。差別表現に声を挙げるのは悪いことではない。

 ただ、浜田さんの件についていえば、そんなに目くじらをたててどうするんだろう、とは思います。どう見ても番組やご本人たちに差別の意図はないでしょう。エディ・マーフィーは怒っているんですかね。

 結局、真似をする側、される側の関係性の問題だと思います。もしも車イスに乗って出てきて、私の真似をする人が現れてくれたら、私は喜ぶと思いますから。

 この件で思い出したのは、ビートたけしさんと松村邦洋さんについてのエピソードです。

 松村さんが、バイク事故後のたけしさんの表情を物まねしたことがありました。周囲はそんなことをやっていいのかと思ってハラハラしていた。物まねを披露したあと、松村さんがたけしさんの楽屋に呼ばれたので、周囲は『怒られるのでは』と緊迫したのですが、たけしさんは、『松村、違うよ!逆!逆!俺はこっち』と言って、顔のひきつりの左右が逆だとアドバイスしたというのです。それで周りも胸をなでおろした。

 有名なエピソードですけど、私はこの話、大好きなんですよね」

善意が仇になることも

 松村さんがたけしさんを尊敬しているのは誰もが知るところ。それがわかっているからこそ、たけしさんもまったく問題にしなかった。ここで第三者が「事故で障害を負っている人の物まねをするとは非常識だ」となどと言ったら野暮の極みというものだろう。

 ホーキングさんは新著『考える障害者』の中で、障害者のことが世間に正しく伝わらない理由の一つとして「善意の人」の存在を挙げている。その真意はこういうことだ(以下、同書より引用)

「障害者の側に立って、味方になってくれている人たち、要するに家族や福祉や介護関係、ボランティアの人たちなどが、障害者に理解のない人たちから我々を守ろう、少しでも社会に参加させようと過剰に振る舞い、結果的に社会と我々とを隔絶させてしまっているのをまま目にする」

 浜ちゃんを糾弾する人たちの「善意」あるいは「正義感」は、弱者の地位向上や差別の廃止に働くのか、それとも社会との隔絶に作用してしまうのか。

デイリー新潮編集部

2018年1月16日掲載

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