東条英機、田中角栄が浸かった湯を追体験! 宰相たちが愛した「名湯」「隠れ宿」
角栄も口にした名物の鯉
旅館の建物は国の登録有形文化財の第1号としても知られている。赤瓦葺入母屋屋根木造2階建ての本館を中心に、日本庭園を回遊するように木造3階の建築物が並ぶ。庭園から眺めたその趣はまるで飛龍のよう。肝心の角栄が泊まった部屋は、大正初期に完成した「向瀧はなれ 一棟」で、10畳、4畳、6畳に仕切られて中の間4畳は書院造。座敷と回り廊下の境目には、四方柾(しほうまさ)の柱が使われている。
この格式ある部屋に、あの独特なダミ声がどんな風に響き渡ったのだろうと想像を巡らせながら、夕食では角栄も口にした名物の鯉の甘煮を頂いた。輪切りにした鯉の身に、醤油と酒で5~6時間かけて火を入れるため、骨まで柔らかくなる。甘じょっぱい味を角栄はいたく気に入ったそうだが、雪国で生まれ育った者ならではの嗜好だろう。
はなれ専用の浴室はガラス窓越しに外からの光が白と黒のタイルを照らす。御影石の湯船にザブ~ンと入れば湯が溢れ、その音が天井にまで響く。角栄も豪快に湯の音を響かせてひと風呂浴びたのだろうか。
今も角栄が入った時と変わらず、自然に湧き出る湯が源泉そのままの状態で湯船になみなみと注がれる。湯口にはナトリウムとカルシウムの結晶がこびりつき、傷に効く湯と伝えられ、その圧倒的な温(ぬく)もりは、会津の寒さを忘れさせてくれる。
角栄が来てから2年後の昭和49年、あのヘリが再び会津の地に飛来した。
「また角栄さんが来たんだと思って、学校から早く帰ったら姿が見えない。政局が大変だった時期で、予定していたヘリに乗れなかったそうです」(平田さん)
田中金脈の追及が始まったのは、まさにこの年。その後、角栄が向瀧を訪れることはなかった。
冬将軍が活発で今季は寒さが一層厳しくなりそう。時代を作り、動かした宰相たちを包み込んだ名湯に入って想いを馳せれば、身体は温まり、心も満たされる特別な旅になるだろう。
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