東条英機、田中角栄が浸かった湯を追体験! 宰相たちが愛した「名湯」「隠れ宿」
200人もいた芸者
不穏な時代の空気を肌で感じながらも、湯に浸かり寛いだ近衛や東条は、後に戦争の責任を問われ命を失う。その後、荒廃した国土の立て直しに奮闘した“今太閤”もまた、多忙な日々の中で温泉を求めた。
『日本列島改造論』がベストセラーとなった昭和47年――福島県会津若松の名城・鶴ヶ城の横にある陸上競技場が物々しい爆音に包まれた。飛んで来たヘリから降り立ったのは、総理大臣の田中角栄。自民党の選挙応援で来訪したのだ。
方々での演説を終えて向かった先は、会津の奥座敷・東山温泉きっての老舗旅館・向瀧(むかいたき)である。
社長の平田裕一さん(56)が言う。
「その時、私は小学生だったのですが、学校の教室にもプロペラの音が響いて、何事かと思ったことを今も覚えています。帰宅した後、格子越しに角栄さんと渡部恒三さんが向瀧に入っていくのを覗いていました」
角栄が宿泊先に選んだ理由は、老舗ということだけではない。そのワケを、政界から引退して、今は会津若松で暮らす85歳の渡部恒三さんはこう明かすのだ。
「向瀧は誰もが『いつかは泊まりたい』と思う場所だったんだ。宿の先代と俺は中高大学と同級生で兄弟以上の付き合い。衆院議員になった当初は会津に家がなかったから、此処をよく使わせて貰ったね。もう最高の贅沢だったなぁ」
で、郷土の自慢の宿に角さんを連れて来たところ、
「『こんないい宿はない。素晴らしい』って、喜んでくれましたよ」
と誇らしそうに語る渡部さんに、時の総理とどんな話をしたか尋ねると、
「そりゃ、越後の角栄さんと会津の俺だもの。白虎隊は素晴らしいとかね。当時200人もいた芸者の話もしたかな。そうそう、俺が東山温泉で男になった話を角栄さんに披露したのも向瀧だったかな。ガハハ~」
なんて武勇伝まで教えてくれた。
[3/4ページ]