日本人初!「無補給単独」で南極点に到達した荻田泰永氏が語る“私の冒険家人生”
「私には行動力がない」
――アウトドアも海外旅行も経験したことがなかった荻田氏の冒険歴は、こうした始まった。00年4月、荻田氏は大場氏ら8名と共に、35日間で700キロ、カナダの凍った海上を踏破する旅へ。そして翌年の01年3月、今度は一人で北極を訪れる。
「大場さんと一緒に行く前、私はこれから始まる未知の冒険に、ワクワクしていました。自分の停滞していた人生が開けるのではないかと、過度な期待をしていたわけです。でも、北極から帰ってきて日本でアルバイトを再開して何か月か過ごしているうちに、北極に行く前と何も変わっていないことに気づいた。北極に行く前よりもモヤモヤして、『じゃあどうしよう、何をすればいいだろう』と考えました。
大場さんとの旅に参加する前と後で違うことは、『北極に1回、行ったことがあるか、ないか』だけ。だから、私には『もう一度北極に行く』という選択肢しかなかった。私は昔から行動力がないんです。行動力がないから、他の場所には行けなくて、一度行ったことがあり、安心して行ける北極に、もう一度行った。だから、北極に行こうが、隣の家に行こうが、大した差はないんです。ただ、今度は大場さんに連れて行ってもらったラッキーにすがらず、自分の足で能動的に動き出そうと思いました。
しかし、もう一度、700キロを同じルートで歩こうとしましたが、結局、全く歩けませんでした。一人でやるのと誰かと一緒に行くのでは、全然違う。正直に言うと、日本を出る前から『単独で北極冒険に行くのは無理だ』と99.9%は分かっていました。でも、とにかくじっとしていられなかったし、行けば何かが起こるということを信じていました。行くためには大義名分が必要だったのです。そして、冒険を始めるカナダ北部のレゾリュートという町で準備をしながら、『いまの実力で単独では無理だ』と感じ、3月のあいだは、そこに滞在することにしました」
――北極探検の拠点であるレゾリュートには、シーズンになると世界中から冒険家が集まる。そこで知り合った人々と交流し、荻田氏はさらに冒険への刺激を受けた。97年に北極点に日本人で初めて単独徒歩で到達した冒険家・河野兵市氏(故人)と出会ったのもこの地だった。北極点から南下し、最終的には日本の愛媛県を目指す旅を始める河野氏を見届け、日本に帰国した荻田氏だったが、1カ月後(01年5月)、河野氏が北極海の氷の割れ目に落ちて命を落としたことを知る。
「その時は衝撃でしたが、『北極に行きたくない』とは思わなかった。ド素人だったから分かっていなかったのかもしれません。『それ(河野さんの死)は、それで、自分はやるべきことをやろう』と。お金を作らなきゃいけないから、アルバイトで資金を貯めて、翌年02年3月に、またレゾリュートに入ったんです。500キロを24日間で歩きました。1年間かけて準備をしたし、知り合いのイヌイットにスノーモービルで来てもらって、一度は補給も受けました。いまだったら500キロなんて無補給で行って帰ってこられますけどね。24日間の旅が終わってゴールした時は『もう歩かなくていいんだ』と思った。けれども、一晩明けたら、『来年はどこを歩こうかな』と地図を広げていましたよ」
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