40歳超ニートが全国に70万人! 日本を蝕む「中高年ひきこもり」
逃げ出した母と姉、父に徹夜で説教
「お金が底をつきました」
父・藤原勇(84)=仮名=は、自立支援相談員に50歳次女について訴えた。
「次女の家庭内暴力に耐えかねて、妻と長女は8年前、私は4年前に家を出て、3人でアパートを借りて暮らしています。しかし妻にがんが見つかり、長女はうつ病がひどく、治療費がかかるんです。今まで株を売ったりしてしのいできましたが、年金だけではどうしようもない。無理なんです」
勇の次女・尚子(仮名)は、30歳から一切働くことなく自宅にひきこもり、昼夜逆転の生活をしている。
尚子が一人でひきこもっている家は、高度経済成長期に造成された、関東地方の高級住宅地にある。30代だった勇が65坪の土地を買い、1000万円ほどかけて建てた、高台の家だ。
勇は大手通信企業で営業職に就くかたわら、文筆業の副業を持ち、給料は専業主婦である妻に渡して家や子どものことはすべて任せ、自分は副業の収入で飲食やゴルフ、旅行などを謳歌していた。帰宅は深夜、出勤は早朝という、典型的な“モーレツ社員”。家を顧みることはなかった。当時は多くの父親がそうだった。
妻は女も手に職を持つべきだという考えで、幼い頃から姉妹にピアノを習わせた。長女(54)は途中で挫折したが、次女の尚子は順調に進み、ピアノ講師の資格を得て、全国に教室を持つ会社に就職、教室を任されるまでとなった。しかし、尚子の指導法は独善的で子どもが音をあげ、抗議する親を容赦なく批判し、事務局とも反りが合わず、喧嘩別れのような形で辞めた。以降、転職を試みることもなく、自宅にひきこもったまま、20年が経った。
相談員の前に現れた尚子は趣味のいい服装で、外見からは長い間ひきこもっているようには見えなかった。尚子は、自分こそ被害者だと滔々と訴えた。
「私は教室を開いてピアノを教えることができるのに、それができないのは全部家族のせいなんです。だから私は働かなくてもよく、あの人たちが私を食べさせるのは当然なんです。私の20年を返してほしい。親のせいでこうなったのですから」
一方、父は、次女のおかげでどれだけ家族が苦しめられてきたかを切々と語る。
「うつになった姉を一晩中、枕元で罵倒し、姉は病状を悪化させたんです。尚子はすぐに激昂し、ヒステリー状態になると止まらない。一晩中でも怒鳴り散らします。母や姉に暴力を振るうので、2人を家から逃がすしかなかった。私はしばらく尚子と暮らしていたのですが、1週間に2回、徹夜で説教され、台所も風呂もトイレも使わせてもらえない。耐えられなくなって、自分も家を出ました。今は、尚子からは“生活費がないから振り込んで”という連絡があるだけ。毎月、5〜6万を振り込んでいます」
一切、交わることのない言い分。尚子は自分を理解してほしいと必死に訴えた。
「これまで私は一方的に親が決めたことをやらされ、振り回されてきたんです。父に、道を押し付けられてきた。親のせいなんです、こうなったのは」
とにかく、がんの治療費と生活費捻出のためには、尚子が占拠している家を売るしかない。まず尚子を家から出してアパートを借り、生活保護を受けさせるというのが支援の道筋だ。尚子に「すぐに働くように」迫るのは、現実的ではないという判断があった。プライドと対人関係の難しさから、どの職場でも間違いなく働けないと思われた。
この提案に対して、尚子は首を縦に振らない。
「そもそも、家を売る話を父が勝手に進めるっておかしくないですか? 私の了解を得てからじゃないですか? これが、父なんです」
モーレツ社員で“イケイケ”だった父はやはり「強い父」=専制君主。だから尚子も自身のピアノ教室で、専制君主のように振る舞ったのではないか。それ以外のコミュニケーション方法を知らないからだ。それが、藤原家の「文化」だったのだろう。強さに立ち向かえなかった姉が心を病んだのも、一面を示唆している。
それでも尚子は家を出ることを渋々、承知した。しかしいくら期限を決めても、彼女は一向に動かない。
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