朝日新聞の名誉棄損訴訟は「口封じ」なのか 元朝日OBの苦言

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烏賀陽氏の見立て

 では、今回の朝日の訴訟は「スラップ」にあたるのだろうか。

 烏賀陽氏は、12月26日、自身のツイッターで次のようにコメントをしている。

「定義で言えばこれは堂々たる、教科書に載りそうなSLAPP提訴です。言論には言論で対抗すれば良い。朝日新聞の紙面が無理なら、ウェブ版で精緻にこの著作の問題と思う記述を指摘し反駁すれば良い。そのプロセスが社会に公開され読者が判断できることが重要なのです」

「インターネット以前の時代は、裁判所は言論に関する公開の議論が行い得る数少ない、ほぼ唯一の公的空間でしたが、ネットがある時代にはそのロジックはいかにも古く、SLAPPの持つ、提訴だけで相手に苦痛を与えるという加罰だけが残ってしまいました」

「私が小川榮太郎氏の書いた内容に同意するかはまったく別次元の問題として、朝日新聞による提訴はスラップ提訴にぴったり合致します」

「私が小川榮太郎氏の著作にまったく同意しなくても、その定義は変わりません。

 そもそも、裁判所に言論の判断を委ねるという行為は、読者の判断能力を信用していない。そして、裁判官に検閲官をやらせるという意味で、きわめて危険な『言論の自由への介入のドア』を開く」

「言論機関が言論に対抗するために裁判所という権力機構の一部を使うという点でも、朝日新聞は読売新聞の押し紙記事訴訟と同じ過ちを犯しています」

(註・「押し紙記事訴訟」では、読売新聞社がジャーナリストと掲載した週刊誌側を訴えた)

 朝日OBでもある烏賀陽氏は、このように今回の訴訟に厳しい目を向けている。

 新聞あるいはジャーナリズムは権力の監視をするのが仕事だ、というのは朝日新聞などが常に訴えていることである。ところが、自分達にとって不愉快な言説が出たら、言論で勝負するのではなくて「お上」に、「悪い奴を罰して下さい」とばかりに訴える。訴えられた側はもちろんのこと、さまざまな社会的コストが使われるのも事実である。

 経緯を見る限り、朝日側は相手との公開討論などは行なっていないようだ。

 過去、数多くの揉め事、対立について「まずは話し合いを」と訴えてきた朝日らしからぬ振る舞いではなかろうか。

デイリー新潮編集部

2018年1月6日掲載

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