実の息子からも恨み節、写真集は“返本率9割” 「野村沙知代さん」猛女伝説
「サッチー」猛女伝説(上)
人格者の野村克也氏(82)が、なぜ愛想を尽かさなかったのだろうか。家族を捨てて略奪婚を敢行し、不正蓄財に手を染め、骨肉の争いを招き、誰彼構わず敵に回し……。サッチーこと野村沙知代さん(享年85)の猛女伝説は、聞くだに恐ろし、小説より奇、である。
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まさか野村克也氏の、
「嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない」
という言葉に、夫人の生き方が映されているわけではあるまいが、実際、どんなに嫌われてもお構いなしに我を通すのがサッチー流だった。結果、猛女という印象をそこら中にばら撒いたが、それをリーダーシップと受け取るムキは、まずなかったようだ。
たとえば1977年、克也氏が南海ホークスの選手兼任監督を解任された年のことだが、
「沙知代さんは、選手やコーチを乗せて球場へ向かうチームバスに勝手に乗り込んだり、3番を打っていた門田博光らに“野村の方針に文句を言うな”“文句を言うなら試合で使わないわよ”と、直接電話したりしていて、公私混同が甚だしかったんです」
と、スポーツジャーナリストの吉見健明氏。のちの監督、広瀬叔功(よしのり)氏も、
「彼女が練習場に子供を2人連れてきていたので、それはやめてくれと直接言いましたね。やはり南海のプレーヤーが試合前の調整をしているわけですから」
と言う。さらに問題なことに、このときサッチーは克也氏の愛人にすぎなかった。ダブル不倫の末、サッチーはすでに73年に克則氏を出産していたが、克也氏の離婚が78年まで成立せず、2人が結婚したのはその後なのだ。
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