誕生から50年「リカちゃん人形」秘史 日本人向け5頭身、“幻の姉”の存在も

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誕生から50年「リカちゃん人形」秘史――北原照久(下)

 2017年に誕生から50年を迎えた「リカちゃん人形」。玩具コレクターの北原照久氏が“日本人にとってのリカちゃんとは何か”を解き明かす。北原氏は07年の生誕40年の企画展を開催、「横浜元町リカちゃん」をプロデュースしたほか、09年には横浜開港150周年にあわせた「赤いくつリカちゃん」も作成している。

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 こうしたリカちゃんに文字通り親身になって協力して頂いたのはタカラ(当時)の創業者にして、“おもちゃの王様”ともいわれる、リカちゃんの生みの親・佐藤安太さん(93)だった。

 佐藤さんがリカちゃんに思い至ったのは66年といわれる。敗戦からおよそ20年をへて、日本は高度経済成長の時代に入っていた。おもちゃ業界はすでに、海外輸出向けのブリキおもちゃなどの生産で外貨を稼いでいた。

 60年に国内で大ヒットを飛ばしたのがタカラで、当時は宝ビニール工業所。元々、ビニール製の雨合羽に始まり、浮き輪やビーチボールなどを製造していた会社がビニール玩具「だっこちゃん」を発売したのだ。子供はもちろん大人の間でもファッションアイテムとなり社会現象を巻き起こす。ただしその後のヒットには恵まれずにいた。

 そこで佐藤さんがまず考えたのが、ドールハウスだったという。米国マテル社のバービー人形は本国では59年に発売されていた。60年代に入ると日本にも入ってくるようになった。それらの“おウチ”を日本人向けに作ろうとしていたのが、多角化を目論む佐藤さんだった。

 だが、例えば身長約30センチのモデルばりの体型、金髪、碧眼美女のバービー人形を元に設計すると、家までデカくなってしまう。ウサギ小屋といわれた当時の日本人の住まいよりも豪華だし、まだまだ小さかった日本人の子供たちには持ち運ぶにも大きすぎた。

 ならば、人形も日本人向けに小さくしようと、生まれたのがリカちゃんだった。

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