女優として生きるため“14歳で15キロ増量”――富田望生は「脇役の星」
小学校5年生の3学期に罹災
女優を目指していたことなど全くなかったというから、人生は不思議だ。00年2月、福島県いわき市生まれ。小学校3年生でピアノの虜となり、夢はピアノ教師だった。
何もなければ、今の彼女は痩せていて、音大を目指して猛練習を重ねていたかもしれない。運命の変転が最初に訪れたのは11年3月。故郷が東日本大震災に襲われたのだ。
「11日は教室の中にいました。本当に怖かったです。家族全員が無事でしたが、仕事中の母とは合流できず、不安でしかたがなかったですね。最初は近所のお宅に避難しました。電気もガスも水道も止まっていて、ロウソクを点けて、余震が来たら消して、また点けて、また消して、を繰り返していました」
母親は当時、ビジネスホテルの支配人。最後の客が離れるまで職場にとどまる必要があった。12日の未明に母親と再会、最終的には母親が勤めるホテルに避難した。
だが、原発事故が追い打ちをかける。政府は15日、福島第一原発から約30キロ圏内の住民に屋内避難を要請。ホテルは35キロ圏内に位置したため、母親は自主避難を決めた。系列のホテルが都内にもあり、母親が異動することになったのだ。しかし本人は反対し続けた。
「東京に行くのは絶対に嫌でした。向かう車の中でも、母に何回も『もう帰ろう、もういいよ』と言い続けていました。友達、自宅、ピアノといった、私の大切なもの、日常生活で触れていたものと、急に離れ離れになることが耐えられなかったんです」
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