丸の内広場に銅像が出現 「井上勝」って何者?

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 12月7日に新装なった東京駅「丸の内駅前広場」。特徴ある駅舎と平凡な丸ビル、新丸ビルの間に広がる空間に、週末の昼ともなると、日本人、外国人入り乱れての人出となる。そんな人気スポットに佇立(ちょりつ)する銅像が一つ。近づいてみると“井上勝(まさる)”の名が刻まれたプレートが。はて? いったい何方(どなた)であらう。

「日本の“鉄道の父”と呼ばれるほどの偉人です」

 鉄道マニア、模型作りでは内外から高い評価を受ける新保(しんぼ)正樹さん(57)が語る。

「井上勝は、幕末に国禁を破って、イギリスに密航した長州ファイブ(長州五傑)の一人です。伊藤博文ほど有名ではありませんが、明治政府の極度の財政難の中、イギリスでの勉学と見聞をもとに、鉄道施設の重要性を説いて、新橋〜横浜間に初の鉄道開設を導いた大きな功績があります。もともと、丸の内中央出口前の公園にあった銅像は、工事中、撤去・保管されていました」

 1843(天保14)年、山口県萩に生まれた武士、官僚、実業家。萩藩士、井上勝行の三男。5歳で野村家の養子に入り、これが勝には幸いする。洋学に傾倒する養父の勧めで、蘭学に開眼。兵学、砲術、英語と学問を嗜(たしな)む武士となる。

「長州藩の切れ者、周布(すふ)政之助の計画で、井上馨、伊藤博文、井上勝ら5人は、横浜港から、英国ジャーディン・マセソン社所有のチェルスウィック号で出港します。藩から“船将”を任されたのが井上勝です」(同)

 ロンドン大学で鉱山・土木工学を修めて明治元年に帰国。新政府に出仕して鉄道庁長官まで務めた“鉄道一筋”の人である。

「郵便の父、前島密(ひそか)。関東大震災後に“昭和通り”を築いた後藤新平と共に記憶されるべき日本のインフラ整備の父なのです」(同)

 こう知れば、銅像を眺める姿勢も変わる? かもね。

週刊新潮 2017年12月28日号掲載

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