北島三郎が語る「キタサンブラック」引退 “体調が悪い時、あいつが代わりに頑張ってくれた”
キタサンブラック引退!「北島三郎」が語る引き際の美学(下)
2017年の有馬記念で引退した競走馬・キタサンブラック。馬主である北島三郎が語る“引き際の美学”インタビュー、その後編である。北島が故郷・北海道上磯郡知内(しりうち)村(現・知内町)を出たのは1954年のこと。62年に歌手デビューを果たして以降、2013年には50回の出場記録を達成したNHK紅白歌合戦を勇退し、15年には座長公演からも身をひくなど、北島もまた輝きを残しながらの引退を経験してきている。
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――北島三郎にとって幸運の年は、なんといっても65年であろう。映画にもなった「兄弟仁義」(作詞・星野哲郎/作曲・北原じゅん)、望郷の念を軽やかに歌い、紅白でも計7回歌われた「帰ろかな」(作詞・永六輔/作曲・中村八大)、人生最大のヒット曲になった「函館の女(ひと)」(作詞・星野哲郎/作曲・島津伸男)。3枚ともにミリオンセラーとなり、不動の地位を築いた。
「デビューの翌年には紅白出場ですから、とんとん拍子と言えばそう聞こえるかもしれません。しかし、順風満帆だったかと言うと決してそうでもなく、いま思えば弛(ゆる)みもありましたね。
だから、いまだに弟子たちに言っていることがあります。歌は自分だけで酔うなと。自分だけいい気持になっていると、壁を作ってしまう。歌は聴いてくださっている人に、パッと放るものでなければいけないと教えています。上手く歌おうなんて考えるなとも言っている。どうしても自分の得意なところは、力も入って自分勝手になってしまいます。そうではなく、苦手なところこそ、しっかりと歌うんだぞと言い聞かせています」
――紅白の大トリでも歌った「まつり」(作詞・なかにし礼/作曲・原譲二)は、五穀豊穣を願う日本人の心情に訴える。作曲の原譲二は北島のペンネームだ。キタサンブラックが勝利した際には、「まつり」のサビの一節を競馬場で披露。昨年、一昨年と有馬記念でキタサンブラックが負けても、競馬ファンへのサービスとして歌った。
「『まつり』は、なかにし礼さんが詞を先に作ってきてくれて、私が作曲しました。日本人は祭り好きだし、あれを歌うと若い連中もすぐ気分が乗っちゃって一緒に歌ってくれる。競馬場でも、馬券が外れていようが、ありがたいことに、皆さん一緒に盛り上がってくれる。
去年、中山競馬場で歌ったときは、体調が戻っていませんでしたが、横にスタッフについてもらいながら、具合が悪い姿はできるだけ見せないようにしました。歌を聴きに来てくれたお客様ではないですが、こんなに私の愛馬を応援してくれて、感動してくれているというのがすごく伝わってきて、ヨシ! 歌おうっていう気になりましたね。歌手なので皆さんに“ありがとう”との思いを込めて歌った。なにより、あの場の雰囲気に乗せられて歌ったのです」
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