キタサンブラック引退!「北島三郎」が語る引き際の美学

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 競馬界の一年の総決算、有馬記念。今年、その晴れの舞台を最後に、最強馬・キタサンブラックが惜しまれつつも引退した。馬主の北島三郎自身も一足先に紅白歌合戦や座長公演から身を引いているが、なぜ輝きを残しながら、引退するのか。北島流“引き際の美学”とは。

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「キタサンブラックは今なお伸び盛りで、周囲からは来年もまだいけると言われます。私自身も、もう一つぐらい重賞レースで勝てるかもしれないと考えています。しかし、出会ったこの馬が頑張って成績を残し、皆さんがこの馬に親しんでくれている。そう思ったら、本当にいい時に、あいつのためにいい道を決めてやるべきだと思ったんですね。これまでとは違う、あいつの新しい道を皆さんも楽しみにしてくださいという意味で、今年で引退を決めたんです」

――北島三郎が所有する競走馬・キタサンブラックの赤兎馬(せきとば)の如き活躍はいまさら言うまでもない。2015年菊花賞、16年は春の天皇賞、ジャパンカップで優勝。17年は、春秋ともに天皇賞と有馬記念を制覇し、デビューから現在までに約18億7000万円の賞金を獲得した。そして、今年12月24日の有馬記念を最後に、惜しまれつつ勇退する。

「キタサンブラックは北海道の牧場でたまたま見かけて買いました。私の前にもいろんな人が目にしたけど誰も買って行かなかった。不思議なもんです。牧場で馬を見て帰りの車の中で、“あの馬、何か引っかかるなあ”と思った。それで、“ヨシッ、買おう”と。正直言うと、こんな立派な成績を残す馬になるとは思ってもいませんでした。今までにも、もっといい馬を買ったつもりでいて、走らなかったことは何度もある。この馬も大したことないだろうと思いながら購入したら、どんどんいい方に変わってくれました。今では、皆さんに愛される馬になった。だから、この馬は神様からの贈り物です」

――サブちゃん、オヤジ、歌謡界の大御所――。演歌歌手の北島は、多くの異名を持ち多方面で慕われる。引退と言えば、彼自身、2013年の第64回NHK紅白歌合戦で、50回の出場記録を達成し紅白を勇退。さらに15年1月には公演回数4578回に達した座長公演からも身を引く決断をした。昨今の政財界では、なかなか引退せず政治関連組織の名誉職に留まったり、相談役、会長といった役職にしがみつき、経営を傾かせてしまう悲劇がしばしば起きる。だが、北島は今でもステージに立つとはいえ、歌手であれば誰もが憧れる大舞台からは潔く身を引いてしまった。

「ズルズル、ダラダラは好きじゃない。誰かが幕を開けたら、誰かが閉じなくてはならない。ケジメはちゃんと付けないといかんなあと、ずっと思っていました。生まれた時からの性格なんです。皆さんに心配させてしまったり、無様になったりしたら、身を引かなくてはならない。けれど、せっかく、人様に支えられて花を咲かせてもらったのだから、ちゃんとした花を凛と咲かせているうちにと、絶えず考えています。

 歌手生活を続けて、気がつけばデビューから55年、生まれてから81年が経ちました。3、4年前から、体の調子が悪いと思い始めて、2回ほど転んだために怪我をして、頸椎の手術を昨年9月にしました。まだ、ちょっと足元がおぼつかないところもあるんですよ。今日まで、この道を歩かせてもらって、歌手になるんだという夢を追いかけて、夢をやっと掴んだ。皆さんに支えてもらって、この道を歩かせてもらったことに感謝しています。

 仏教の教えからくる『生かされている』という言葉が好きです。『生きなきゃならない』だと、だんだん辛くなってきますが、生かされているんだとなれば、大事だと思えるし、その分ちゃんと生きないといけないとなる。子どものためにも孫のためにも、生意気だけど、世のためにも、人のためにも、生きることが大切なんじゃないかなと。そのためには、やはり、誰であっても、ケジメというものが必要なのではないかと思うんです。

 私は紅白に50回出場させてもらいました。その間、時代の流れとともに、紅白も演歌の世界も、様変わりしました。それならば、ここで一度線を引いてみよう。私が幕を閉じれば、代わりに紅白に憧れている誰かが出場することも出来る。その人が私の代わりに生かされてくれればよい、そう考えたのです」

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