センキョのハシオ(大橋巨泉)最強の司会者だ! 「せんだみつお」が語る昭和のスター列伝
マルクもナオンもドリシタ!
せんだ 僕は巨泉事務所に入る前、「ぎんざNOW!」(72~79、TBS)もやってたし、ラジオ番組も「セイ!ヤング」(69~94、文化放送)とかね、いくつも持ってたしそこそこ人気者ではあったんだけど、もっとテレビに出たいって野望があったんだ。そんなときに巨泉事務所から誘いがあってさ。当時、巨泉さんといえば全盛も全盛。この人の元にいたらテレビに出られるなと思って入ったんだよ、田辺エージェンシーからの話を蹴ってさ。これ、実話だから! で、そこからが僕の第一次黄金期。「11PM」の寸劇に出させてもらってたし、映画「こち亀」も「トラック野郎」もNHKの「北上山系」(77)も「おんな太閤記」(81)も、ツービートと初めて共演した「スター爆笑座」(80~81、TBS)も、ぜんぶ巨泉さんのところにいた頃。やっぱ事務所の力って大きいね!
――巨泉さんの活躍した時期は長いですが、ちょうどせんださんが所属していた頃は、いちばん攻めていた時期ともいえますもんね。で、お仕事以外ではどうだったんですか?
せんだ うん、いろいろお世話になったよ。巨泉さんの車を下取りさせてもらったり、あとは女性もね。
――女性!!
せんだ 昔、巨泉さんが懇意にしていた(付き合っていた?)某Sさんと、そのずっと後に僕がちょっと深い仲になりまして。そしたら巨泉さん、「11PM」のスタジオにいたとき、パッと横にきて小声で「おう! ダセン、ウッシッシ。おまえ、マルクもナオンもドリシタ!」だって!(※こちらも関係者の方のご指摘によると、「巨泉は“ダセン”とか“ドリシタ”とか、ナンセンスな言い方はしません」……)
――解説すると、「車も女も(俺の)下取りだな」だと。しかしそれ、巨泉さん的に「ウッシッシ」でいいんですね。
せんだ でもあの方はそっち方面には慎重だったね。銀座のおねえさんたちにチヤホヤされてはいたけど、実際にそのままホテルへ――っていうのは、少なくとも僕は2回ぐらいしか知らないもん。それが原因でTBSの番組の会議に40分ぐらい遅れたことがあるらしいんだけど、いきなり会議室に「いや~イッタマ! イッタマ!」って入ってきて、「マルクがミーコーでよ、レーツカレーツカ。メンゴメンゴ」で終わらせたって。みんな呆気にとられて聞いてたという(笑)。
――……念のため解説しますと「参った参った、車が混んでて疲れた疲れた、ごめんごめん」ですね。
せんだ 巨泉さん、ジャズの世界から来た人だからね。言葉を逆さにする、いわゆるズージャー語を使いまくりでさ。こういうのがそのうち“業界語”みたいな感じで使われていくんだけど、元はジャズの人たちの隠語なんだよね。まあとにかく、そんな感じで陽気でラテンな人だったね。いつも「ダセン~、キンゲ~(元気~)?」とか言っちゃってさ。(※こちらも関係者の方から「“ダセン~、キンゲ~”のような表現もしないし、まして“イッタマ”や“レーツカ”なんて有り得ません」との証言がありました)
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