ダウン症の子を産むという選択 既存社会の在り方に踏み込む力作「コウノドリ」第10話
出生前診断結果を「知る意味」とは
一方、羊水検査の結果、透子の胎児もダウン症と確定した。両親たちからも中絶を促され、時間のない中で悩む透子の心のうちはいかばかりであろうか。しかし透子も夫と考え抜いた結果、中絶を選択する。
透子の中絶についてのカンファレンスの場で、研修医である赤西吾郎(宮沢氷魚)が「中絶を希望しているのに、なぜ最期に赤ちゃんを抱きたいと思うのか」と疑問を呈したことは大切な場面だった。赤西のキャリアは先が長い。いつかもっと新しい出生前診断の方法が見つかったら、未来の医師たちはそれに向き合っていかなければならないのだ。そのことにサクラは、産科医の葛藤を折り込んだ長い台詞で自分の思いを語った。四宮も言葉少なだったが、心の中では深く同意していたに違いない。
産科の医局で四宮が指摘したとおり、出生前診断がひとつのビジネスとして成り立ち、検査機関と、その検査だけを行う無責任なクリニックがあるということももちろん問題のひとつだ。同僚の産科医、倉崎恵美(松本若菜)が主張したように、自分の子どもについてあらかじめ「知る権利」もあることも確かだ。しかし知る権利を行使した結果、人間が苦しみや不幸を自分で作り出してしまっているのが、出生前診断の現実である。技術革新に伴って「知る権利」が行使できるようにはなったが「知る意味」がまだ社会に追いついていない。
34年間、横浜市の福祉職で働いてきたある女性は、今回の放送を観た後に私に語ってくれた。「出生前診断はどんな子も生を受けて産まれてくる権利を侵害されないように、そして産まれたあとも人としての幸福を追求する権利を行使出来るような仕組みづくりや親の支援をしていくためのものだと思いたい」と。憲法13条の幸福追求権は、どんな親、どんな子どもにも等しく適用されるべきだ。
サクラの言うとおり、産まれる前に病気がわかれば治療につなげることができる、というのが出生前診断の建前ではあるだろう。技術の発展の流れは、もはや止められない。人間は産まれてくる存在を淘汰できる唯一の種だと冒頭で私は書いた。しかしそれはこうも言えるのではないか。人間は弱者を救うことができる唯一の種だと。制度的に弱者を救って健やかに育てていける唯一の動物、それが人間なのだと。
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