ダウン症の子を産むという選択 既存社会の在り方に踏み込む力作「コウノドリ」第10話

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この地球上で、産まれたあとに淘汰され死ぬ個体がいるのは動物としての自然の摂理だが、障害のある子を「産む」か「産まない」か、悩むのは人間だけである。

 産科を舞台にした医療ヒューマンドラマ「コウノドリ」は、さまざまな出産、そして時には死と隣合せの過酷な医療現場のあり方を描いている。鴻鳥サクラ(綾野剛)、四宮春樹(星野源)ら産科の医師や、小松留美子(吉田羊)ら助産師たちの奮闘が、毎週出産を控えた患者に寄り添い、その姿は多くの視聴者を勇気づけている。

 第10話は、出生前診断という非常に重いテーマが描かれた。冒頭に書いたとおり、産科に留まらない「人間が今後どのような方向に進むのか」という深い問いを投げかけるものだった。

 物語は、高山透子・光弘夫妻(初音映莉子・石田卓也)、辻明代・信英夫妻(りょう・近藤公園)という2組の夫妻がNIPT(新型出生前診断)によって胎児が21トリソミー(以下、ダウン症)として産まれてくることになると知るところから始まる。サクラはカウンセリングルームで、それぞれの夫妻を勇気づけ、決断を尊重すると伝える。

 明代は、ダウン症児の世話をしながら自分たちの商売を続けることはできないし、健常児の長女に将来的な責任を負わせることはできないと言い、中絶の道を選んだ。だが本当に問題なのは、経済的余裕のない両親が障害のある子を育てることが難しく、両親がいなくなった時に生命線が絶たれかねない社会であることなのだと、私は悔しさを噛みしめていた。

 最期に死産の我が子を抱いた明代の号泣は見るのがつらく、胸が締め付けられた。そこに挟まれた、サクラがピアノに向かうシーン。どんなに医療が発達し、身体のケアはできても、本当に人の心を癒すのは時間と芸術の力しかないのではないか。サクラはそれを知っているからこそ、ピアニストを続けているのではないだろうか。「ご家族が幸せになるための選択だとそう自分に言い聞かせてる。でもさ……僕は赤ちゃんが好きだから」と言った時のサクラの苦しげな表情は、これまでの放送の中でももっとも痛々しいものだった。

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