AIは著作権者になれるか―― 人工知能が生み出した創作物は誰のもの?
様々な分野で人間の能力を凌駕しつつあるAI。そんなAIが人智を超えた発明や芸術作品を生み出したら――。われわれは「彼ら」に権利を認めるべきなのか。(以下、「新潮45」2018年1月号「AIは著作権者になれるか」(白坂一・著)より抜粋、引用)
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AI(人工知能)の進化が止まらない。
昨年3 月と今年5月、グーグル社傘下「ディープマインド社」の囲碁対戦プログラム「アルファ碁」は、かつて世界最強とも称された韓国のイ・セドル九段や、中国のトップ棋士・柯潔九段を立て続けに撃破して話題を攫った。他のテーブルゲームと比較して囲碁はコンピュータが探索する情報量が圧倒的に多いため、人間に勝利することは難しいと言われてきたが、そんな固定観念が一気に吹き飛ばされた格好だ。しかも、最新のアルファ碁はたったの3日で一流棋士の20年分に匹敵する知識、経験を習得するという。
このようなアルファ碁の大勝利、さらには日本における将棋ソフトの活躍が、AIの進化を人々に強く印象づけているのは間違いない。(中略)
弁理士としてAI技術の特許取得を担当し、AIを用いたサービスでナスダック上場を果たした筆者は、AIの進化をつぶさに見つめてきた。そんな筆者がいま最も関心を抱いているテーマ、それは「AIによる創作活動」である。
より端的に言えば、AIは芸術家や発明家になれるのか――、ということだ。
アート作品の創作は人間にしかできないという認識がいまだに支配的である。
しかし、発展途上というレベルながら、AIは音楽や小説、絵画を人間の指示無しに自動で創作している。
たとえば、AIは作曲家になれる。
スペインのマラガ大学が開発した作曲するAI「ラムス」は、人間の専門家が介入することなく、クラシックミュージックをわずか8分で作曲することができる。それも、人間とは異なる感性で独特の表現をすることができる。すでにその楽曲をオーケストラが演奏したCDも販売されている。筆者もその音色を聴いたのだが、少なくとも、AIが作曲したとは思えないほど素晴らしい楽曲だった。もしかすると、モーツァルトやベートーヴェンを超える存在になりうるかもしれない。そんな期待すら感じさせる。(中略)
また、AIは小説家にもなれる。
公立はこだて未来大学の松原仁教授が、AIを用いた「短編小説執筆プログラム」に作品を「執筆」させ、星新一賞に応募した。残念ながら入賞は逃したものの、人工知能が小説を執筆できることを証明してみせた。
そして、AIが絵画の先生になれることも話題になっている。
アドビシステムズ社は10月19日、人工知能を搭載する「Adobe Sensei」という新ソフトウェアを用いて、未来の画像編集加工の技術を公開した。「Sensei」とは、日本語の「先生」に由来しているという。「Sensei」は音声操作で画像処理を行うことを可能とする。たとえば、ロケットや宇宙飛行士のスケッチを描き、「イメージ(画像)を探して!」というと、AIが最適な宇宙の画像を探索してくれる。さらに、AIは画像から人物だけを抜き出し、角度を変えたい時には、その人物の別角度の画像を探してきてはめ込むこともできる。AIが人間の負荷を軽減するだけでなく、様々な視点を提示することで、今までにない創造性を引き出すきっかけを与える。まさに「先生」と呼ぶべき存在であろう。これなどは人工知能と人間の共創時代の幕開けを感じさせるニュースだ。
AIに著作権を与えるべきか
今後、AIはさらに進化し、人智を超えた創作物を生み出す可能性を秘めている。では、AIが人間の手を離れて創作した音楽や絵画などの著作物については、AIが著作権者になるのだろうか。
実は、現行の著作権法上では、人工知能は著作権者として認められておらず、人工知能の生み出したものは基本的に著作物として認められない。(中略)
それでは、AIの生み出した創作物に、人間と同様の著作権を付与すると、どうなるのか。問題点は大きく分けて2つに絞られる。まずは著作権が爆発的に増加する危険性。そして、権利の主体が曖昧となる恐れである。
前者から説明すると、AIはコンピュータが動き続ける限り、人間よりも高い生産性が可能だ。そのAIの作品に、著作権が認められたらどうなるか。AIを使える人物がAIを用いて作品を大量に生み出すと膨大な創作物・著作権の独占が可能となってしまう。そうなれば、人間のクリエーターの実質的な排除につながりかねない。実は、そうした論点が、法曹界では真面目に議論されている。
続けて、後者について。人間がAIを道具として利用したのであれば、その人間に創作物の著作権が発生する。しかし、作品が人間による創作なのか、またはAIの手になるものなのか、さらには、人間がAIを用いて創作したものなのか、その区別は大変困難である。現状でも判断に困るところ、AIが著作権者になれるとしたら権利の主体を確定する作業は大混乱となる。
一方、AIによる創作物に一切、著作権の付与を認めないとどうなるか。
AIが創作した作品は、無償で誰もが使用可能となる。もし、AIが価値ある著作物を創作しても、取り締まるすべはなく無断使用を許すことに繋がる。
AIによる創作の自動化に歯止めをかけるため、たとえ必要がなくとも、人間が途中で創作に関与することで著作権の付与を実現させるという考え方もある。だが、これなどは明らかに後ろ向きの発想だろう。結果的にAIによる創作活動を妨げると懸念される。(中略)
さらに、音楽の場合、過去の楽曲情報をAIにインプットして、いくつかの曲を継ぎはぎしたり、またコード進行を真似て別の曲を作る行為を「創作」と呼んでいいのかという声もあろう。だが、モーツァルトやベートーヴェンの影響を受けていないクラシック作曲家や、ビートルズを聞いたことがないロックミュージシャンなどいるのだろうか。人間のアーティストであっても、過去の作品に影響されながら、むしろそれを手掛かりにして自分なりの創作を手がけてきた。つまり、AIが過去の音源を大量に聞き込んで、その上で、人の手を借りず、自動で生み出した音楽は、やはり著作物の創作であると判断してもよいのではないかと筆者は考える。
人工知能と人間の共創
実は、著作権の権利主体を巡っては、AI以外にも注目を集めたニュースがある。AIが自動生成した創作物については現行法上、著作権は認められないが、それでは「猿」の場合はどうなのか。日本では、人間以外の動物(アニマル)には権利能力がないため、著作権の主体として認められない。ただ、米国では興味深い判決があった。
2011年、イギリスの写真家であるデイビッド・スレーター氏はインドネシアの森林を訪れた。その際、持参したカメラを放置していたら、雌のクロザルが勝手に操作して自分で自分を撮影していたのだ。猿による「自撮り」である。スレーター氏がネット上に公開すると、愛くるしい猿の自撮り写真は、たちまち世界中に拡散。アメリカでも流行した日本の忍者漫画にちなんでこの猿は「ナルト」と名前が付けられ、大人気となった。だが、写真家と野生動物の微笑ましいエピソードは、後に意外な展開を迎える。
発端は、この自撮り写真がウィキペディアに掲載されたことだ。スレーター氏は自身に写真の著作権があるとして、著作権侵害で訴えた。一方、被告となったウィキメディア財団は「人間以外は著作権を所有できない」と主張。結局、裁判所は、人間以外の動物による作品は著作権の対象とならないと判断した。ナルトの写真については、「人ではなく動物が撮影したものであることから、誰も著作権を有さない」との判決が下されている。
現状、日米ともに人間を除く動物(アニマル)には、著作権の発生を認めないという結論に至っている。だが今後、バイオ技術が進んで動物が人間のような知性や創作能力を獲得したり、映画「猿の惑星」のように猿が進化を遂げたりしたらどうだろうか。まさにSFの世界だが、科学技術の発達によってAIやアニマルが人間に匹敵する、もしくは人間を凌駕する芸術性を持つ可能性は否定できない。(中略)
AIを扱うこと自体は、もはや珍しいことではなくなっている。だが、AIに携わった方であればご理解頂けるであろうが、汎用的な人工知能技術は決して万能ではなく、それをカスタマイズできる優秀な開発人材と、人工知能に学習させる豊富なデータ量、さらに、データを処理する適正なアルゴリズムが必須となる。まだAIだけによる新たな発明を期待するのは時期尚早かもしれない。
とはいえ、AIに過去の特許庁のデータベースを全て分析させることは可能だ。その上で、審査官がどのような出願を特許として認可するか、はたまた拒絶するかを学習させれば、より効率的に特許出願することもできる。
AIが人間と足並みを揃えて芸術的な才能を開花させたり、まったく新しい発明をもたらす「共創」時代は、目と鼻の先まで迫っている。人工知能は更なる進化を遂げて人智を超えた作品、それこそ不老不死の創薬やタイムマシーンを実現してくれるかもしれない。
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全文は、18日発売の「新潮45」1月号に掲載。AIの進化過程や、著作権の問題などをより詳しく解説する。