障害者芸人ホーキング青山「忖度は不要だ!」 障害者が戸惑う“過剰な気遣い”とは
コーヒーにオニギリ
ネタや原稿を書くために入った喫茶店でも、「過剰な気遣い」をしてもらってしまうことがある。とりあえずコーヒーを注文すると、「これよかったら食べて」と賄い用のオニギリを出されたりするのだ。
「これもご親切はありがたいのですが、お腹が減っていないのにオニギリは要らないです。コーヒーにも合わないですし。何か食べたければ自分で注文します。
ところが、時にはこの先の展開が待っていることもあるんです。店を出ようとして、お金を払おうとすると、店員さんに『あなたからお金なんか取れない!』と拒否されて、そのまま外に出されそうになったこともありました。
『いやそれじゃあいくらなんでも申し訳ないですし、それに何よりコーヒー1杯飲めないほど金に困っていませんから』
そう言って代金を受け取ってもらったけど、なんだが相手はガッカリされた感じでした」
代金を払ったほうがガッカリされるというのも理不尽な話ではあるが、こういう経験は珍しくないのだという。以前、青山さんが友達と池袋の駅で待ち合わせをしていた時のこと。遠くから小走りで見知らぬおばさんが駆け寄って来て、いきなり胸ぐらを掴んできた。
「やられる、と思い、とっさに目を閉じて歯を食いしばったら、次の瞬間、『何も言わずに持って行って!』と叫びながら、胸元に1000円札を入れて、おばさんは立ち去っていきました。友達は『臨時収入じゃん!』と喜んでいましたが……」
過剰な気遣い。今年の流行語を使えば忖度の一種とも言えるかもしれない。青山さんは、程度の差こそあれ、この手の体験は「障害者あるある」のようなものなのだとしたうえで、こう解説する。
「基本的に善意からの行動であることはわかるのですが、どこか私たち障害者が戸惑ってしまうのも事実です。結局、それは突き詰めて言えば、障害者というものが理解されていないからでしょう。だから多くの『健常者』の皆さんは、我々にどう接して良いかがわからない。そのおかげで必要以上に、あるいはおかしな方向に気を遣うわけです」
『考える障害者』によれば、障害者が正しく理解されない理由は大別して、以下の3つではないか、という。
①そもそも健常者との接点が少ない
②家族をはじめボランティアや介護者等の福祉関係の「善意の人」が、障害者を守ろう、とか少しでも社会に参加させよう、という思いから過剰に振舞うことで、かえって社会と障害者とを隔絶させてしまっている。
③「とにかく大変」「不憫でかわいそう」だというイメージが先行し過ぎている
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