ジェンキンスさんが生前、週刊新潮に語った「安倍首相への“遺言”」

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記者に「佐渡の冬は、やっぱり寒いね」

 チャールズ・ジェンキンスさんが12月11日、新潟県佐渡市で亡くなった。自宅の外で倒れているのを娘さんが見つけたという。死因は致死性不整脈。享年77。

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「週刊新潮」は、生前のジェンキンスさんを2回、インタビューしている。

 最初は2012年10月。この頃、ジェンキンスさんは観光施設「佐渡歴史伝説館」の売店で働き始めていた。特集記事「拉致被害者帰国から10年! ジェンキンスさんが語った『悪夢の北朝鮮』回想」(12年10月18日号)では、日常生活の様子から語っている。

「現在は火曜日以外、週6日働いています。観光客が少なくなる12月から3月までは店には出ないで、去年などは毎日雪かきを頑張っていました。佐渡の冬は、やっぱり寒いね。私は日本語が分からないので、家庭内で妻や娘と話す時は今も朝鮮語ですが、妻と娘の3人だけだと日本語で話しています。2人の娘は、こちらに来てわずか2ヵ月で日本語が話せるようになり、自由に使いこなしています」

 当時、《48キロだった体重が、日本に住んで72キロに増えた》などと報じられていた。ジェンキンスさんは「日本の食事は美味しいから、太ってしまったのです」と認めた。

「佐渡に来て少したった頃、妻と野菜を作ろうと考え、家の裏に畑を借りました。以来、毎年5月に作付けをし、休みの日には農作業に打ち込んでいます。大小2つのトラクターを使って、トマトやきゅうり、ジャガイモなどを本格的に栽培しているのです。妻の料理では、特にカレーが好きで、辛口なのがいい。また、朝の出勤時にはサンドイッチや弁当を作って持たせてくれているので、喜んで食べていますよ」

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