「日馬富士」暴行、事件を読み解くカギは貴ノ岩の“ガチンコ相撲”
“ナイラはやらない”
本誌(「週刊新潮」)が報じた大相撲野球賭博事件の捜査の過程で力士が八百長について携帯電話のメールでやり取りをしていたことが発覚したのは2011年。初めて八百長の存在を認めた相撲協会は存亡の機に瀕した。それから6年が経過した現在でも、角界という閉鎖されたムラ社会では、相変わらず八百長という3文字は禁句なのだ――。だからこそ先に触れた記事からは質問内容が「削除」されたに違いない。
実は、そうした背景こそが、今回の事件を“分かりにくく”している要因だ。洪水のような報道に触れてもいまいち事件の本質が見えてこない。貴乃花親方が協会に対して頑なな態度を取り続けている理由も分からない。そうした方は多いはずだが、それはテレビ、新聞などのメディアが「八百長」「ガチンコ」というキーワードを“避けて”今回の事件を報じているからなのである。では、これらのキーワードも含めて事件全体を捉えた場合、見えてくる本質は如何なるものなのか。そして、頑なな態度を取り続けている貴乃花親方は実際のところ、何を考えているのか。順を追ってみていこう。
まず、今回の事件を読み解く上で最も重要なのは、被害者の貴ノ岩が一切八百長に応じない「ガチンコ力士」だったことである。
「貴乃花親方は貴ノ岩が入門した頃から、“今までにないモンゴル人力士を育てたい”と期待していました。また、貴ノ岩も常々“汚い相撲は取らない”と公言しています」(相撲記者)
黙々とガチンコ相撲を貫くだけではなく、そこに誇りを持ち、公言することも憚らない。そのことが、今回の事件の伏線になった、と解説するのは、貴乃花親方に近い相撲協会関係者だ。
「錦糸町に『カラオケBARウランバートル』という、モンゴル人力士がよく出入りする店がある。貴ノ岩も頻繁に顔を出しており、最近は、酔っぱらう度に八百長について不満をぶちまけるようになっていた」
モンゴル人力士は八百長のことを「ナイラ」と言う。モンゴル語で、勝負事における談合の意だそうだ。
「貴ノ岩は相撲界と関係のない一般の友人と店に来ることが多く、特に負け越しが決まった後などは憂さを晴らすように大酒を飲み、“俺はナイラはやらない”、“俺には人に知られて恥ずかしいことは何もない”と大声で言っていたのです。当然、そのことはすぐに他のモンゴル人力士たちの耳にも入りました」(同)
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