最高齢は108歳! 100歳以上が日本一「島根県」の百寿者が語る“健康長寿の秘訣”
「人生はこれからだ」
青砥武一さん(104)も松江市在住。やはり食べものに頓着しないそうで、
「朝は白米やパンです。野菜も食べるし、魚もあれば食べる。昼や夕飯も家族と同じものを食べますわ。ひ孫が時々買ってくるケンタッキーも好き。嫌いなものはない。ただ軍隊にいたときのクセで速く食べて、孫たちに怒られます」
家族と一緒に、選り好みせず食べているそうだ。
「戦争から帰って米や野菜、黒毛和牛の繁殖を80すぎまで続け、月に1回は、松江中心部の護國神社の朝の清掃奉仕に、自転車で14キロくらい走って通ってました」
右耳はほとんど聞こえないそうだが、左耳に話しかければ、こうして返事をもらえる。そして今も、
「新聞は毎日読んでいる。あとひ孫が買ってきた計算ドリルを、もう3、4冊やりました」
最後に紹介するのは、江津(ごうつ)市に住む明治42年生まれの高田良夫さん。県内最高齢108歳だ。今は施設で車椅子の生活だが、昨年4月に転んで脚を圧迫骨折するまでは自宅ですごし、草むしりもしていたという。
なにしろ90歳まで毎朝晩、犬の散歩で1キロ歩き、93歳まで自転車に乗り、100歳をすぎても畑に出ていたという鉄人である。
「ここまでやってこれたのは、真面目に働いてきたからだと思います」
国民学校を出て陶工に丁稚奉公したのち、徳山曹達(ソーダ)に就職。36歳で徴兵されて台湾に送られたが、幸い食糧事情があまり悪くなかった。帰還後は70歳すぎまで陶工を務めたという。
百寿者の例に漏れず、好き嫌いがない。昔からタバコも吸わず、晩酌は毎回1合未満。ただ、施設に入るまで40年間、毎日「養命酒」を飲んでいたという。
「何でも美味しく食べますし、ゆっくり、よく噛んで食べています。昔、たくさん噛めば唾液がたくさん出るから、よく噛んで食べるようにと、牛は何度も吐いて噛み砕いて食べるから糞がほどけてるんだ、と教わりました」
車椅子は自分でこぐ。
「60くらいで死ぬと思ってたら、とうとう108です。先生も、家族は長生きするだけでも嬉しいものだと言ってくださるので、男性日本一の長寿になれるよう頑張りたいです」
前出の白澤院長は、
「私が会った百寿者で“もう自分の人生は終わりに近づいている”と悲観している方はいない。逆に“人生はこれからだ”と、とにかく前向きで肯定的です」
と語るが、それは5人すべてに共通していた。
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