髭男爵はトリオだった!? 山田ルイ53世が語る結成秘話
結局、その場で答えは出さなかったが、1カ月後、2人の申し出を受けることに。別に、彼らとなら売れる勝算ありと考えたわけではない。今白状するなら、寂しかっただけである。
3人で幾つかの事務所のネタ見せに挑むが、ライブに出演出来たのは1度きり。早くも気持ちが萎え始めた頃、
「やっぱり、芸人辞めるわ……」
と音を上げたのは、まさかの市井であった。そして、トリオ結成から1年も経たぬ内に、あろうことか僕と樋口を引き合わせた張本人が、
「後は若い2人で……」
と仲人さながら、そそくさと退場してしまったのである。
取り残された僕と樋口。
山田22歳、樋口24歳であった。
コンビの結成話の定番、小学校の同級生でも、幼馴染でもない。養成所の同期ですらない。出会ってまだ数カ月。共通の知人を介して知り合った男2人。正直、お互いのこともよく知らない。(略)
にも拘わらず、彼とコンビを組んだ理由は只一つ。そのときの僕は、養成所時代から何度も相方を替えたものの上手くいかなかった苦い経験から、
「大事なのは才能云々ではなく、続けるかどうか」
平たく言えば、「継続は力なり」……そんな悟りの境地に達していたからである。何とも味気ないコンビ結成秘話だが、とにかく、2人での髭男爵が船出する。
(髭男爵・山田ルイ53世)
ここに登場する「市井」こと市井昌秀氏は、「箱入り息子の恋」などで知られる映画監督として現在活躍している。「新潮45」12月号「一発屋芸人列伝」では、その後、長い下積み、迷走時代を経て髭男爵がブレイクするまでの日々が描かれている。
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